ネットで嘘新聞を発行して、たまに面白い時もある(面白くない記事も多いので、実は全然読んでないんだけど)「虚構新聞」のニュースがtwitterに流れ、それがリツィートされるにつれて信憑性を増してしまい、事実だと信じた人たちが怒って虚構新聞に文句を言ったという実に下らない事件が起こった。
私に言わせりゃ、虚構新聞してやったりなんだが、どうやら怒ってる人たちがかなり面倒くさい人ばかりなので、虚構新聞の中の人が放置できずに謝っちゃったらしいんである。
謝ったらいかんなあ。だって、虚構新聞っていうのは、如何に嘘を本当っぽく書くかにあるわけであって、それが事実と思われちゃったんなら本望というべきではないか。
ただ、敢えて言及するならば、「如何にも本当っぽいけどやっぱり嘘」というぎりぎりの線を突くのが虚構新聞の真髄なのだろうと思うので、その意味では「本当だと信じられたら虚構新聞側の負け」なのかもしれない。
しかし、この事件で恐ろしいのは、今や「愚集の暴力」がいとも簡単に実現してしまうという事ではないだろうか。ネット上ではあらゆる問題に大して、簡単に批判を行うことが出来る。そして、それを拡散するのもあっという間だ。
それは、テレビや新聞などのメディアの拡散力とは比較にならないものがある。
以前から、2ちゃんねるなどでこの手の暴力的扇動が起こることもあったが、それは多くが2ちゃんねる内に留まってのものだったし、2ちゃんねるは、基本的にネットのヘビーユーザーが中心で、いわゆる一般人にまで広く普及したものではないから、騒ぎは2ちゃんねるの世界の中だけで収束できた。
ところが、twitterはその制約を恐ろしく下げ、2ちゃんねるやmixiなどとは比較にならないほどの普及率を示している。ということは、社会現象に繋がる暴力的扇動が簡単に発生しやすいという事を示している。
今回の事件で一番批判されなければならないのは、無自覚にリツィートし、情報を拡散した馬鹿者どもであって、虚構新聞側に罪はない。ところが、拡散した人たちが、デマを信じさせたと言って虚構新聞に怒っているのである。これって、ものすごく危険なことだ。
デマで一番問題なのは、無自覚に拡散することである。デマは、言う人間より伝える人間のほうが悪い。そのことに気付かない限り、今後もtwitterを使ったデマ拡散はいとも簡単に行われるだろうし、そこで、発言元が追及されて叩かれるようならば、ある意味言論統制と言われかねない状況を齎す。
虚構新聞に怒っている馬鹿どもは、「虚構なら虚構と書いとけ!」などと言っているようだが、それって「あたし馬鹿だから馬鹿に分かるように書いてね」と、実に恥ずかしいことを全世界にばら撒いているのだということに気付くべきだろう。
特に気をつけたいのは、twitterでは簡単に自分の馬鹿を全世界に晒しかねないという事だ。他人の発言に脊髄反射的に書き込みを行うのはやめたほうがいい。特にそれが批判的なものであるなら、なおさらだ。それが単なる誤解であったならまだしも、単に知識不足だったりした日には、赤っ恥をかくことになる。
恥をかくだけならいいが、個人情報なんぞを晒されたら始末に終えない。我々は、ネット上で無知を曝け出すことの恐ろしさをもう少し認識したほうがいい。特に、mixiやらfacebookやらを併用している人は、いとも簡単に本人特定されてしまうという事をもっと認識しておくべきだろう。
以前にも、無免許酔っ払い運転をtwitterでつぶやいてしまった女子があっという間に個人情報を晒されてしまったように、今、無自覚に自分の個人情報をネット上に曝け出している人があまりにも多いことに危機感を覚える。
ところで、そうやって虚構新聞を叩く人たちでも、エイプリルフールには虚構新聞以上に下らない嘘記事がネット上を蔓延しているのに、それは叩かない。それは何故なのか?エイプリルフールと虚構新聞の何がどう違うというのだろう。
私がエイプリルフールに嘘記事を書かなくなって久しいのは、それがイベントと化しているからだ。今日は嘘の日とか言われて嘘をつくのって、みっともないと思うのは俺だけか?嘘に騙されるのは意外性があるからであって、嘘ついていい日には逆に嘘みたいな本当のことを書いてびっくりさせたほうが面白いんじゃないだろうか、などと思う。
まあ、今回は虚構新聞をdisっている人たちの大半が検索できるので、そういう人たちとはおつきあいしないほうが良いという人を選別できたという意味では非常に有益な事件であったと言っておこうか。


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