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杉本一文「装」画集
「杉本一文」という名前を聞いて、「横溝正史」という名前がすぐに出て来るかたは、相当な横溝マニアと思います。
昭和50年ごろから、本屋さんの角川文庫の棚を占領し始めた黒い背表紙の一団。横溝正史シリーズの表紙絵を描いていたのが、杉本一文さんです。

その「表紙絵」の画集が発売されました。

杉本一文「装」画集 です。



全ページカラーグラビアという豪華版。角川文庫の「緑304」の作品群は勿論、それ以外の本や雑誌の表紙絵も含まれていて、まさに完全版と言えるでしょう。



獄門島の恐ろしくも美しい表紙絵。これが一番好きかな?

中学に入ったばかりの頃、本屋さんでこのシリーズを見つけてハマったのですが、杉本さんの絵は「怖い絵」である以上に「エロチック」なのでした。しかも、単純なエロではない。「淫靡」という単語が良く似合うのです。

第二次性徴が始まったばかりの雀坊少年には、少しばかり刺激の強い絵ばかりでした。

緑304の横溝本全99種、絵柄の違いなどを入れると120冊以上になるコレクションは、現在でも我が家のスライド本棚の1個分を占領しています(苦笑)




その、文庫サイズの淫靡で恐ろしい絵が、大判で堪能できるんです。こんなの買うに決まってるじゃないですか。


| 【本】 | 18:21 | comments(0)
電子書籍を買ってみる。

電子書籍というものには懐疑的であった。

「電子書籍を買う」というが、実質的には「読書権を買う」のであって、「書籍を自分の所有物にする」わけではない。従って、買った電子書籍を古本として売買することが出来ない。これが第一の不満。

紙媒体ではないので、飛ばし読み、流し読みみたいな事がしにくい。推理小説なんかは、何度も行きつ戻りつして読んだりするので、そういう自由度の低い電子書籍は、少し読みづらい。これが第二の不満。

電子モノっていうのはサービスを終了した時点で灰燼と化すわけだが、電子書籍も同じ事になるのだろうか、そこに対する不安が払拭出来ないうちは、手を出すべきではないと考えていた。

さらに言うと、私の主たる読書時間は電車の中なので、電子書籍を読むとしたら携帯用デバイスになるのだが、携帯用のデバイスはiPhoneSEしか持っていないので、これで電子書籍を読むのはかなり辛そうである。

専用のキンドルなどを買うほど投資はしたくないので、そうなると電車の中では読めないから、必然的に電子書籍は要らないな、という判断になっていた。

ところが最近、読みたい本が電子書籍でしか販売されない事が増えてきた。最近の傾向として、出版するにはハードルの高い書籍や、その他さまざまな理由で、電子書籍でしか出版されない本というのが一定量存在するようになってきたのである。

こうなってくると、いずれ電子書籍を買う日が来るのだろうなあと、薄ぼんやり考えていたのだが、その時期は意外と早く訪れた。

栗本薫さんという作家がいる。いや、いた。グインサーガなどのヒロイックファンタジーや、魔界水滸伝という伝奇SFなどで有名な作家であるが、8年ほど前に亡くなり、グインサーガをはじめとして幾つかの長編作品が未完で終わってしまった。

この人の作品群の中に、伊集院大介シリーズという探偵ものがあるのだが、その最後の作品が電子書籍のみで発売されるというのだ。

元々コレクター気質があり、伊集院大介シリーズは全て読んできたので、この新作だけを読み逃すわけにはいかない。幸い、先日、hontoというWeb書店のキャンペーンで、1000円分の電子書籍購入券をもらっていたので、早速これを活用して、この新作を買ってみる事にした。

hontoの場合、読むためには専用アプリが必要である。

PC用のアプリをダウンロードし、インストールして、アプリを開くと、自分の本棚に今買った本がセットアップされているので、これをクリックすると本が読めるようになった。

画面フルサイズだと大きすぎるので、適度な大きさに画面サイズを調整して読み始める。最初は抵抗があったが、読み進めるうちに気にならなくなった。

この本には4作の短編が収録されていて、そのうち3つは単行本未収録という話であったが、いずれも既読。どこで読んだんだろう(苦笑)。久々でもあったので、最初から通して読んでみる。栗本薫は、長編は上手いと思うが、短編は下手だなあと苦笑しながら読み進めることが出来た。

ところで、この本のアプリをインストールしたのは会社のパソコンである。弊社のパソコンは、社員が遊べないように色々なガードが掛かっている(例えば、DMMなどには繋がらないので艦これを会社のPCでプレイすることは出来ない)のだが、hontoには繋げられて、書籍のダウンロードも可能であった。まあ、読むのは小説とは限らないので、仕事で使う専門誌なども読めるよう配慮されているのかもしれない。

仕事の空き時間を使って半分ほど読んだのだが、これは色々と便利である。サボっているというわけではないのだが、仕事中に、本を開くことなく画面上から読むことが出来るのは、色々な部分で都合が良いのだ。

ひょっとしたら、色々使えるかもしれんなあ、と思っている。

今日はiPhoneに専用アプリを入れてみた。字が小さかったらダメだと思っていたが、表示される文字数が少ないので、読めないという事はない。ただ、当然ページ当たりの表示文字数が少ないので、最初はとても読みづらい。しかし、これも読み進めていくうちに慣れてしまった。

こうやって、段々電子書籍に慣れてしまうと、紙の本が煩わしくなってくるのだろうか。

でも、やっぱり本は紙で読みたいんだよね。

ちなみに買ったのはこの本です。

伊集院大介最後の推理

 

| 【本】 | 13:42 | comments(0)
BABEL : HIGUCHI YUKO ARTWORKS

5月頃、東京で展示会をやっていたのを見逃してしまった、ヒグチユウコさんの作品。今、京都のTOBICHIで開催していますが、流石に京都まで見に行く時間も金もなく。
ガッカリしていたら、本が出ていました。



「悪魔のクリエイター」ヒエロニムス・ボスと、「バベルの塔」のピーテル・フリューゲルの描く世界観をベースに、独自の解釈を加えた幻想的な画集です。

装丁もさることながら、金の箔押しを使った豪華な内容も素晴らしかった。この手の細かい書き込みの多い幻想的な絵って、どストライクなわけですが、オリジナルキャラクターの「ひとつめちゃん」や「ギュスターヴくん」たちがキモ可愛く、ボスやフリューゲルの作品には無い親しみやすさがあります。

初回限定版には「ひとつめちゃん」のエンボスカードが添付。

買うなら今しかない!



 

| 【本】 | 09:51 | comments(0)
「1984年のUWF」と、「証言UWF最後の真実」(その2)
今年はじめに刊行されて物議を醸した「1984年のUWF」。
そして、最近刊行された「証言UWF 最後の真実」。
この2冊を続けて読んでみました。

今日は、「証言UWF 最後の真実」です。

昨日レビューした、「1984年のUWF」への反論という事になっていますが、各関係者へのインタビューをまとめた本となっていて、誰かの著作というわけではありません。これはノンフィクション小説ではなく、インタビュー集であり、ドキュメンタリーでもあります。

1984年のUWFが佐山聡サイドに立っての語りになっているのに対し、本書では佐山以外、特に前田日明を中心としたインタビューで構成されています。

第1章から前田のインタビューになっていますが、その前田がインタビュー記事の中でケチョンケチョンに貶した宮戸優光のインタビューが載っていたり、更科四郎やターザン山本などの胡散臭い連中と、新間寿らフィクサーの証言など、立場が変わると相反するコメントが幾つも並び、なかなか混沌としていて如何にもプロレスらしい攻防が続くのが興味深いです。

前田を筆頭に、藤原喜明、山崎一夫、中野巽耀(龍雄)、宮戸優光、安生洋二、船木誠勝、鈴木みのる、田村潔司、垣原賢人と、UWFを構成してきたレスラーたちのインタビューを収録しているのは、なかなかに圧巻です。但し、ここまで纏めておきながら、何故、佐山と高田のインタビューが収録できなかったか。それが残念です。

もう少し、「1984年のUWF」に対する反論が出ているかと思えばさにあらず、割と自由に言いたい放題言わせているのが、より一層混沌として、そこが面白く感じます。ただ、更科&杉山&山本の黒幕鼎談は頂けません。当時、真面目に週刊プロレスを読んでいた我々はバカだったのか。愚弄するのもいい加減にしろと思いました。ばらして良い事と、いけない事があります。彼らは書いてはいけない事を書き、それをバラしてしまった。最悪ですね。
尤も、私はターザン山本独特の表現である「信者」とか「密航」みたいな言い方に、皮膚感覚的な嫌悪感を感じていたので、さほど彼に踊らされた感はありません。写真のせいかもしれないですが、ターザン山本がまるで別人のような姿になっていて驚きました。

10人が語れば、10人が違う事を言う。それがUWFの特殊性を物語っていますが、中でも光るインタビューは、鈴木みのるのものでした。「前田は嫌いだった。でも全員の給料を立て替えていたのも前田だった。」年齢を重ねることで柔和した面もあると思いますが、鈴木の発言から垣間見える前田の姿は不器用そのもの。初期UWF時代の不器用なレスリングに通じるものがあります。
「過去の細かい出来事はプロレス辞めたら話しますよ」という事は、「最後の真実」ではないわけですね、鈴木君。

一方、船木の発言にはまだまだ言えない事があるようなイメージを抱きました。1984年のUWF冒頭で語られた高田戦の事には全く触れていません。私なんかはあれこそが新生UWFの分岐点と思っていたくらいの試合なのですが、全く触れようとしていない。まだまだ言えない事がたくさんあるという事でしょうか。

田村潔司の発言も大変興味深いものがあります。前田に病院送りにされた田村。そこから見えるのも不器用な前田の姿です。

「A」という真実があって、それは「B」から見れば「B」にしか見えず、「C」から見れば「C」になってしまう。「B」と「C」を足せば「A」に戻るかといえば、そんなことは無く、そこに「D」が現れてしまう。そんな本になっています。予備知識があっても、真実の「A」に辿り着くのは困難でしょう。

現在では、「UWFの真実」とは「D」の事だと思われています。未だに「A」に辿り着いたマスコミは無いし、我々ファンも「D」を真実にして良いと思っている節があります。

「1984年のUWF」が書いた内容は、「A」ではありませんが、「D」でもありません。「A」が我々の前に姿を現すことは、もう無いと思われますが、いつか、佐山、前田、藤原、高田、山崎が揃った時に、第一次UWFの「A」が現れるのでしょうか?いや、「A」という真実は、やはり五人五様であり、見る者によって赤にも青にも見える多面体、という事で良いのかもしれません。

「最後の真実」と謳うのであれば、佐山、高田のインタビューも掲載すべきだと思いますし、我々古いファンとしては、木戸修やマッハ隼人の証言も聞いてみたいところです。残念ながら他界したラッシャー木村や剛竜馬へのインタビューは叶いませんが、彼らがUWFに対してどういうイメージを抱いていたかは、一度聞いてみたかった気がします。

第一次UWFから30年以上の月日が流れてもなお、大きなしこりとわだかまりが残っている事は、残念でなりませんが、それだけ当事者は全てを賭けていた、と言って良いのではないでしょうか。

私は今やプロレスには興味を持っていませんが、UWFという異色のプロレスが好きで、それを生で鑑賞出来、ひとつの時代を生身で体験出来たことは、大変良かったと思っています。


 
| 【本】 | 09:35 | comments(0)
「1984年のUWF」と、「証言UWF最後の真実」(その1)
今年はじめに刊行されて物議を醸した「1984年のUWF」。
そして、最近刊行された「証言UWF 最後の真実」。
この2冊を続けて読んでみました。

例によって、書き出したら長くなりすぎたので2回に分けます。まずは、「1984年のUWF」の話。

1984年のUWFは、プロレス本では著名な柳澤健氏の「ノンフィクション小説」。
ドキュメンタリータッチの小説であって、これは、ある一方からの視点のみで語られたUWFの話ですが、多くのプロレスファンの反感を買ってしまいました。

あまりにも佐山聡と、週刊プロレス編集長のターザン山本の視線オンリーで書かれ過ぎていて、前田視線は殆ど無し、UWFやプロレスへの愛情が感じられない、事実誤認や作為的なウソが多いという事で、検証派から徹底的にコキ下ろされた本です。

今回、改めて読んでみて、ああ、これは「ノンフィクション小説」だと思いました。ドキュメンタリーではなく、あくまでも小説です。ノンフィクション小説には、作者の思い込みが入ります。その分だけ、事実とは乖離するわけですが、作者の主義主張が一貫している必要があります。柳澤氏は、それを佐山視点に求めた、というだけの話でしょう。従って、佐山を正義としてすべてが語られて行きます。

プロレス好き、プロレスファンとしては面白くない本です。しかし、小説として見たときに、筋が通っているし、読みやすいし、細かい部分が補完されて、私はとても面白く読み進めることが出来ました。

全ては第一章で語られています。(以下、ネタバレ注意)

中井くんという少年の物語。

彼はプロレスラーになりたくて、当時流行していたUWFスタイルにヒントを得たシューティングの同好会を始めます。高校生になり、アマチュアレスリングを始めますが、壁にぶち当たり、一旦はプロレスラーになる夢を諦めます。
北海道大学に入り、七帝柔道に憧れ柔道部に入部し、頭角を現していくのですが、この頃、新日本との提携が切れたUWFが第二次UWFとして旗揚げします。

8月13日の興行で行われた、高田延彦対船木優治戦。
開始早々、船木の掌打が見事に決まり、高田はノックダウン。
しかし、レフェリーは船木の勝ちを宣言しません。
モヤモヤと怒号の中で試合は再開され、高田が船木をキャメルクラッチでギブアップに取り、勝利を得ます。

その時、格闘技を学んでいた中井くんは、UWFも所詮、プロレスに過ぎないという事に気づいてしまうのです。そして、プロレスへの思いを断ち切ることになりました。

中井祐樹。スーパータイガージムへ入門し、ジェラルド・ゴルドーやヒクソン・グレイシーなどとも対戦し、日本修斗協会会長になった男です。

この試合は、私にとっても重要な一戦でした。

今でこそ、UWFはプロレスだったと、したり顔で言うプロレスファンが多いのですが、少なくとも佐山主導でシューティングルールが作られ、実践されていた第一次UWFの時、そのような思いを持ってUWFを観戦していた客はいなかったはずです。
私も例に漏れず第一次UWFに熱中し、足しげく後楽園ホールに通ったクチです。その試合中、観客は熱狂し、関節技が決まると、興奮して「折れ!折れ!」などの非常に危険極まりない声援が飛んだ、殺伐とした会場でした。

それは、プロレスなんて八百長、勝敗は最初から決まってる、インチキなどと蔑まされていたプロレスファンの前に提示された、ホンモノの格闘技でした。そこに八百長や暗黙の了解を感じていた人は一人もいなかったはずです。

テレビ局が付かず、佐山と他のメンバーとの確執などもあって、第一次UWFはわずか2年で崩壊し、残党は新日本プロレスに合流します。しかし、そこでもUWFスタイルを貫き、猪木−藤原戦、前田−ニールセン戦、前田−アンドレ戦など数々の名勝負、遺恨試合を生み、前田は新格闘王の名を得ます。そして、対長州戦でのアクシデントから袂を分かち、新生UWFを旗揚げするに至りました。

この時期まで、UWF信者(ファンではなく信者と呼ばれた。ターザン山本お得意の言葉の翻弄)は、UWFこそ真の格闘技。UWFはプロレスではないと思い込んでいたと思います。

そして、その新生UWFが軌道に乗りかけたとき、前述の高田VS船木戦が行われたのでした。

誰が見てもプロレス。あれでUWFに愛想を尽かした人も多かったと思います。試合終了後、うずくまる船木に前田が諭すように声を掛けているシーンが印象的でした。その後、船木は前田と袂を分かち、藤原組からパンクラス結成という流れになっていくわけです。

当時の私は、流石にUWFが全くプロレスではないとは思っていませんでしたが、流石にあの試合だけは幻滅でした。あそこで船木が勝ってこそのUWFじゃあないのか。例えそれがアクシデントだったとしても、船木に勝たせるべきでした。あの試合から、徐々に不協和音が鳴り出したように思います。

本の話に戻りましょう。柳澤本は、さらにUWFの一面について、ダッチ・マンテルの証言などを引き合いに出して、前田をコキ下ろしていきます。このくだりは、前田ファンには面白くない本だろうなあ、と思います。

ただ、リアルタイムで前田を見てきた私には良く分かります。IWGP参加で凱旋帰国してきた当時の前田は弱かった。やられ役でした。良い体格なのに決められない。まあ、そういうシナリオがあったという事なんですが、負け方がちょっと頂けない。もう少し何とかならんのか、という思いがありました。

UWF旗揚げのダッチ・マンテル戦も生で見たわけですが、前田は試合運びが下手でしたね。だからヤジも多かったです。まだまだメインを張れるレベルではありませんでした。最後のニールキックは間違って顎に入っちゃったという感じです。だからこそ、高田VS船木戦で、前田はアクシデントでの勝利を許さなかったのです。自分が犯した間違いを、弟子にさせてはいけないという思いでしょう。

しかし、それは間違っていたのです。あそこでダッチ・マンテルを見事に破ったニールキックこそ、我々が求め、育てた新しいプロレスの姿の嚆矢だったわけですから。

それ以後、佐山主導でUWF公式ルールが出来るまでのUWFは、手探りの中途半端な試合が多く行われました。主として絡み合っていなかったのはザ・タイガーとして復帰した佐山聡。UWF無限大記念日2日目の、マッハ隼人(今のマッハ速人という人は全くの別人)との試合は、全くかみ合わない二つのスタイルが同居する不思議な試合でした。

今見返すと、単純なプロレスですが、佐山が半分くらい受けていないので、非常に中途半端な技が多発しています。こんなの見せられたら面白くないと思っちゃうよね。ただ、中途半端なので物凄く危険な技になっているのが、今見ると良く分かります。これは恐ろしくエグい試合でした。
でも、この試合の功労者は間違いなくマッハ隼人です。まだ関節技の勉強はしていないと思いますが、序盤で、自ら関節を取りに行くシーンもあったりします。
そして容赦ない佐山の蹴りがマッハの頭を襲う。あの、頭部への蹴りも危険な技でした。しかし、それの返礼が、トぺ・スイシーダ(リング上からリング下の選手に向かってダイビング頭突きを行う技)っていうのが、マッハさんの意地を感じました。どんだけ頭固く出来てるの?

最後はジャーマンスープレックスからタイガースープレックスで佐山の勝ちでしたが、負けたマッハさんの底力を感じる試合でもありました。会場では、その雰囲気が分からずヤジを飛ばしたり、技が綺麗に決まらないので、中だるみみたいな感じになっていましたね。正直、私も生で見ていたときはつまらない試合だと思いました。しかし、これが、第一次UWFの初期に良く見られた景色です。

今、見直しても、かなりショッパイ試合です。ただ、あの試合が起点になって、UWFスタイルが始まったと思うと、感慨深い試合でもあります。

今でもニコニコ動画で閲覧できますので、興味のあるかたは是非。

UWFは、その後佐山主導のシューティングスタイルを貫きはじめ、そこについていけないラッシャー木村、剛竜馬が離脱しますが、マッハ隼人は一人だけ残り、藤原や高田に関節技を教わり、UWF戦士として戦う道を選びます。

ルチャリブレしか出来ないレスラーが、30歳を過ぎて貪欲に関節技をマスターしようとしつつも、自分の矜持であるマスクは最後まで脱ぎませんでした。そして、限界を感じて引退。

引退試合はタッグマッチでした。タイガーとタッグを組んだマッハさんは、タイガーが相手をフルネルソンに捉えた胸元にドロップキックを決めます。既にロープに飛ばない、関節を決めるUWFスタイルが定着していた中での、佐山の粋な計らいだったと思います。

マッハ隼人は、実力としては大したことのないレスラーでしたが、その精神はUWFの中でもトップクラスの逸材でした。今でも第一次UWFで一番好きだったレスラーは?と聞かれたら、マッハ隼人を挙げます。

だいぶ話がズレました。本の話に戻りましょう。

佐山の作ったシューティングルールでは、関節技の応酬が膠着状態となってしまい、見ている観客には全然盛り上がらないものになってしまいます。そこで藤原が一計を案じました。プロレスの要素を交えていくと。ここに、プロレスでも格闘技でもない、UWFという新しいレスリングが生まれるのです。

あの当時、真剣勝負だと思っていたことが次々と暴露されていくところは、正直読むに堪えませんでした。俺らの感動は何だったの?しかし、冷静に分析されてしまうと、なるほどと思わざるを得ません。この本が、あと20年早く出ていたら大問題だったでしょう。今だから書けることなのだと思います。(注:この本以前にも語られている話なのかもしれませんが、プロレスとは無縁の20年を過ごしてきているので、この20年間に暴露されたことは全く知りません)

UWF存続のために暗躍したのが、当時週刊プロレス誌で、当時人気だった漫画家さんの絵によく似た絵のマンガを描いていた更科四郎という漫画家(あまりにも某氏の絵に似ていたので、本職の漫画家とは思わなかった)だったという事も、この本で改めて知る事になりました。

更科四郎が暗躍し、ターザン山本が誌面で煽ることで、UWFは解散の危機を回避したのです。ターザンが異常にUWFを推していたのには、当時から不可解な感じを持っていましたが、色々な裏があったようです。しかし、更科四郎って何者?

更科を筆頭に、前田の「兄貴分」の田中正悟、ターザン山本、骨法の堀辺、佐山のマネージャーだったショウジ・コンチャなど、レスラー以外の実に胡散臭い奴らが密集して、UWFという団体が出来上がったのです。

UWFに、ある種の幻想を抱いていた我々の夢を打ち砕いた本、という意味では確かに批判されるべき本かもしれません。ただ、今読んでみると、佐山に寄り過ぎている嫌いはあるものの、プロレスマニアがこぞって批判するような出来では無いと思いました。

プロレスには多面性があるので、ある一方から切り取ってみれば、こういう見かたも出来るだろうという本です。これに反論するのならば、そういう本を書けばよいだけの話です。

<つづく>


 
| 【本】 | 10:04 | comments(0)
間違ったサブカルで『マウンティング』してくるすべてのクズどもに

この本の著者のロマン優光という人の事は、名前は聞いた事があるのだが、どんな人だか全然知らなかった。私の友人の中にはサブカル界隈のかたが多いので、おそらく友達の友達くらいの距離にいるかたなのだと思うのだけれど、全く面識はない。

掟ポルシェ氏と共にロマンポルシェというバンドでディレイを担当しているという、何だか良く分からないミュージシャンの人のようである。ディレイ担当って何だ?ブライアン・イーノか?

掟ポルシェ氏は盟友の映画バカさんの自主製作映画に出演していたりするし、私の周囲でも良く耳にする名前なので、その特異なキャラクターとともに印象深いのであるが、ロマン優光氏については全くノーチェックであった。たまたま先日、マニタ書房の開店5周年記念にお邪魔した際に、来店していた方々の会話の中で「ロマン優光」の名前が出てきて、へえと思ったくらいである。

ロマン優光という字面から見ると、新宿末廣亭の昼の部の早い時間に、今時誰も驚かないような新聞紙の手品とかステッキが花になっちゃうやつとかを、つまらなそうに演じているピン芸人というイメージがあって、見た目も七三に分けてポマードをこってり塗った頭に丸眼鏡、カイゼル髭に上から下まで真っ白の燕尾服という出で立ちを連想してしまう。

ところで、偉そうなことを書いているのだけれど、私はごく普通のサラリーマンであって、たまたまコレクター仲間に、とみさわ昭仁さんとか映画バカさんのようなかたが居たおかげで、サブカル界隈の方々とも交流をするようになったのだが、基本的には飲み会でご一緒させて頂く飲み仲間の域を出ないので、え?あのひとが漫画家の○○さんだったの?!なんていうのを後で気が付いたりして、冷や汗をかくことが度々ある。一緒に楽しく飲むのが主題なので、その人がどんな職業なのかとか、まるで興味ないしね。

最近は、なかなか人の名前が覚えられないので、もしかしたらどっかの飲み会とかでお会いしていたかもしれないと思って、これを機会にロマンポルシェのPVを見て、ようやくロマン優光氏の外見を見たのだが、前述の冴えない手品師の印象は全くない小太りのオッサンであった。実際に、お会いしたことはないと思う。

wikiなどを読むとロマン優光の優光は、UWFの宮戸優光から取ったらしいのだが、中野でも安生でもなく宮戸っていうのが、とっても胡散臭くていいよね。

で、この本。

なかなか兆発的でヤバい感じのする本だが、内容はタイトルほど過激ではなかった。中森明夫と岡田斗司夫についてはクソ味噌に貶していたが、あとはそうでもないという印象。

私はどうもこのあたりの人たちの情報に疎くて、中森明夫の「おたくの研究」も話には聞いていたが、どんな内容のことが書いてあったかは、この本を読んで知ったくらいである。こりゃあ酷いね。ある友人が、「おたく」という言葉に今でも抵抗があるのは、「おたくの研究」の悪い影響と言っていたのを思い出した。我々世代の人間にとって「おたく」とは差別用語なのであるが、その代表的なものが中森の「おたくの研究」と言っていいのだろう。

岡田斗司夫はオタクとサブカルの分断に力を注いだらしいが、確かに一部のオタクと一部のサブカルは仲が悪いらしい。らしいというのは、話に聴くだけで実際そういう諍いを目にしたことが無いからなのだが、そのあたりも意識的に工作されてきた事なのだろうなあ。

まあ、その辺の、私の嫌いな人をバッサリ切っている所は確かに痛快で、それ以外にもロマン氏が気に入らないとしているサブカル周辺の有名人は、ことごとく私も気に入らなかったりしたので、その意味ではロマン氏に物凄い共感を抱いた。

唯一の違和感は「みうらじゅんはサブカルではない」としている部分なのだが、私のようなサブカル素人には、みうらじゅんこそサブカルの代表みたいなイメージがあるので、何を言っているのかさっぱり理解出来なかった。このように、サブカルというのは少しズレただけで、まったく話が通じなくなるんだなあ、という事は十分に理解できたので、おそらく100人いれば100通りのサブカルがあるという事なんだろう。それはとても面倒くさいことだ。

ところで、私は明らかに「オタク」気質のほうに分類されるわけだが、「サブカル」というのがどうにも定義出来なくて困っていた。色々な人によって色々な分類があり解釈があるのが「サブカル」らしいんだけど、この著書にある「町山智浩が作ってきたものとその周辺にあるもの」という定義はとても分かりやすかった。

この本にも書いてあるけれども、町山智浩氏の来歴というのはまさにサブカルチャーを地で行っていたんだなあ、というくらい色々なサブカル的なモノに首を突っ込んでいる印象があるんだが、一つも著書を読んでいない私は、最初に町山智浩氏と町田康(町蔵)氏を混同していたという事を告白しなければならない。ま、私のサブカル知識なんてそんなもんです。

その町山智浩に対しても、それなりに苦言を呈しているのだが、愛情が溢れていて、中森や岡田を貶すのとは明らかに一味も二味も違う文章になっているのが微笑ましくもある。が、それが行き過ぎて水道橋博士へのバッシングが多少きつめになっているような気がする点が残念だった。いい年こいたオッサン同士なんだから、片方だけを悪者にするのはね。いや、私も水道橋博士はかなり苦手なんで、内容には同意するけれども。

この本を読んで、サブカルというものの問題点が、かなり明らかになった。モヤモヤとしていた部分が随分晴れたように思う。しかし、それはロマン優光の眼を通してのサブカル論なので、別の人のサブカル論で気に入ったものがあれば、また印象が変わるのかもしれない。

しかし、幾つかのサブカル論を読んできて、ここまで私の感覚に近く、ある程度納得出来、同感出来る文章は初めて読んだ。大抵、根本的な部分で違和感があったりするんだよね。そういうモヤモヤ感が一切なかったという意味では、たぶん私の立ち位置はかなり著者に近いところに居るという事なのだろう。

これを機会に、私とサブカルについて少し考えてみたいなどと思っているのだが、twitterなどでサブカル方面の方々のツイートを読んでいると、いつもケンカばかりしていて剣呑な印象を受けたので、サブカルには近寄らないほうが良いだろうか。

とりあえず、岡田あーみんという人のマンガが面白そうなので、これだけは読んでみることにしよう。

間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに (コア新書)
ロマン 優光
4864369836

| 【本】 | 12:59 | comments(0)
痴女の誕生
駅弁仲間っていうか飲み仲間っていうか、そういう感じで、たいてい酒の席でしか会わない安田理央さんが、ご自身の専門分野であるアダルトビデオの歴史を分かりやすく書いた本。

たいへん読みやすい文章なので、普段あまり本を読まない人にもおすすめである。

私は、独身時代は随分アダルトビデオにはお世話になったものだが、当然のように彼女がいた時期とか、結婚後は利用していないので、80年代初頭の時代からところどころ歯抜けで、95年くらいまでの、一部のAV女優さんしか分からなかった。

最近の人では、つぼみさんとか、名前だけ知ってる人が数人いる程度なので、その都度スマホで名前検索しながら画像を見るようにしていたのだけれど、当然ながらAV女優さんなので裸の写真が山ほど出てきて困惑した。ロリ女優とかおばさんとか書かれると、いったいどんな顔なのか知りたくなって検索しただけなのに、裸のほうが多いんだよな。当たり前だけど。

そこで感じた事は、最近の若い人は、アダルトビデオなんか借りなくても、スマホで簡単に画像や動画が検索出来てしまい、エロに対する敷居が随分低くなっているのだなあ、という事であった。

特に名前を秘すが、数人の女優さんは、いきなり無修正画像とかが出てきてコーヒー吹きそうになってしまった。これじゃあ18禁なんて無意味じゃないの?

僕らの世代は、アダルトビデオの前にビニール本があり、それ以前はPLAYBOYとかGOROとかの雑誌のグラビアでしかヌードは拝めなかった。ポルノ映画など、高校生ではまず見られなかったし、そういうモノは写真に頼っていた時代である。

女性店員さんのいる本屋では、そういう本はなかなか買えず、商店街の隅にあった爺さん婆さんが経営している小さな古本屋で、他の雑誌に紛れてエロ本を買うしかなかったし、その時の興奮とか、表紙だけを見て内容を判断する「選球眼」を鍛える必要があった。

だから表紙だけ可愛くて中がメタメタの失敗作を掴まされた時の落胆は大きかったし、それはレンタルビデオになってからも同じであった。

今の若い子たちは、そういう口惜しさを感じることも、良いものを見極める努力をすることもなく、簡単にエロ画像や動画を手に入れることが出来るから、そういうものに対する興奮とか高揚感が薄くなり、それ故に草食男子などが育成されてしまうのではないか、などと思ったりする。

話を安田さんの本に戻そう。

この本では、淡々とAV史が語られているのであるが、時代の流れによって変遷する市場ニーズが適格に描かれ、なるほどなと頷きながら読み進めていった。
日本人の性的嗜好の変化や、AVに求めらる市場の変化などが、その時代背景と相まって、日本のサブカル論としても大変興味深くまとめられており、どちらかといえば硬派な本である。ある意味、女性にもおすすめの本だ。
特に巻末のAV年表は資料性が高く、これだけでも買う価値がある。

ただし、意図的なものと思われるが、いわゆるアダルトアニメに関しては、全く触れられておらず、そこは割り切りと思われる。あの世界も奥が深そうだからね、なまじ表面だけなぞるより、すっぱり切って正解と思う。

正直、現在AV業界で使われている「痴女」という言葉の意味が全く理解できておらず、本書を読んでようやく「痴女の誕生」という本書のタイトルの意味が理解できた程度の素人なのであるが、第4章の「痴女は女が作った」では、今までのAV史の流れを押さえたうえで、痴女というジャンルを作り出していく過程の論理が展開してゆき、どんどん引き込まれていく。

私は本当にAVには疎いので、最近では、たまに出張先のホテルなんかで、料金込みテレビ見放題なんていうサービスがあったりして、そこでケーブル放送のエロビデオをザッピングする程度でしか見た事が無いのだが、そういう素人にとって、とりあえず見てみようと思うのは、まず第一にAV女優っぽくない可愛らしい感じの単体ものである。

そして、画面上に表示される「ジャケット写真」と現実に出てくる女優さんのギャップ(主として顔の違い)にげんなりして、見るのを辞めてしまうことが多いのであるが、そういう視点でしかAVを見ていない身にとっては、未だに企画ものとか熟女とか、何が面白いのかさっぱりわからない。

個人的な話になってしまって恐縮なのだが、普段の顔とセックスシーンでの顔の違いで、セックスシーンのほうが良い顔をしている女優さんというのはとても少ない。そういうのを発見すると当たりだと思うんだけど、そういうニーズって無いのかな?
エロ漫画やエロアニメの1ジャンルである「アへ顔」みたいなものは反吐が出るほど嫌いなので、その逆みたいなニーズがあってもいいと思うのだが、そこまで突き詰めるつもりもない。

変な話になってしまった。自分の性的趣向を暴露してどうする。話を戻そう。

さて、本書の第3章では熟女が取り上げられている。昔からオバサン趣味、年上嗜好のある友人とかはいたが、私は全くそういう素養はないので、熟女なんかありえないだろうと思って、本書に出てくるAV熟女の方々の写真を見て、全く問題なくストライクゾーンに入っていたのに驚愕した。
そりゃそうだよ、54歳のおっさんなら同年代の女性でも、まず問題ないよね。ましてや40代、30代なら全然OKだ。なるほど、熟女というのは、単純に年上願望とかそういうものだけではなく、AVの利用者層の年齢上昇によって、女優さんの許容範囲が上がったという要素もあるのだね。
良く考えれば当たり前の事なのだけれど、AVを見るという行為は、ある意味自分自身が中学高校生に戻ったような気分になってしまうので、余計に熟女は無いんだと決めつけてしまっていたことに気が付いた。
逆に、中年は自分の娘世代の10代、20代前半のAV女優には興味を惹かれない場合もある、という話も新鮮だった。ウチには子供が居ないので、なかなかそういう感覚にはならないが、自分の娘と同じくらいのAV女優さんに欲情してしまうのは、倫理的な問題も絡んでくるので、色々と難しい問題であろう。

その一方で、安田さんが自分の著作やブログなどで紹介する「良いAV」は、素人の私にはレベルが高すぎて、割と理解できないものが多い。もっと単純に、可愛い子が普通にセックスしてるだけのほうが見ていて楽だと思うんだが、やはりAVを見続けたプロの人々にとっては、必ずしもそういうものだけではないのだろう。

特にアダルトビデオなどは、段々と慣れてきて、刺激が強いものを要求しがちなので、そういう部分での感覚の差というものを、本書に於いても感じる部分があった。

だから、本書の第5章の「男の娘の時代」は、当初さっぱり理解できなかった。
最初は、AVを見飽きたヘビーユーザーとか、普通の女の子のセックスシーンを撮っただけのものでは満足できなくなった人たちが「男の娘」を持てはやすのであろうか、と考えていた。

その答えはこの章の最後にヒントが書かれている。今の若い男の子は男性器が好きで女性器が嫌いという人が多いのではないか、という話だ。

僕らの世代は、女性器というのは不可侵領域であって、余程恵まれた(?)人でなければ、18歳くらいまでに直接女性器を見る機会などなく、女性器の詳細を知ることは出来なかった。だから、ある程度大人になってから、それに接しているので、実物と幻想のギャップに幻滅したことはあったとしても、女性器はある意味神格化されている。それを汚いとかグロいと思う前に、思わず拝んでしまう感じがある。だから、おおむね女性器は好きなはずだ。全くの余談ではあるが、女性器を「観音様」と称した感性は素晴らしいと思うね。

しかし、最近の若い人は、ネット検索すれば、実に簡単に女性器の無修正写真や動画に接することが出来る。それには、性的興奮を覚える以前にグロテスクであるというイメージを持つのではないか。

実際、女性器は内臓に近い感覚があるので、冷静に見ると結構グロテスクである。しかし、僕ら世代はそこに墨が塗られ、想像することで性欲を膨らませてきた。だから、実際に女性器を見た時に、グロテスクである以上の興奮があったのだが、今はそういう感覚は少ないのだろう。

人間の場合、性器と尿器はほぼイコールなので、汚いというイメージもあるだろう(それは男性器のほうに顕著だと思うけれど)。
つまり男の娘ブームは、トランスジェンダー的なものではなく、単純に男性が男性器好きな結果としてもたらされた男根信仰みたいなもの、という事だ。だからこそ、一過性のものであって、今は廃れ始めているのだという。

そういった、理解不能だった事象にも、ある程度の回答を得ることが出来たので、個人的には大変有意義な本であった。

最後に、AV女優の名前だけを並べ、薄い明朝体で覆った装丁の素晴らしさにも言及しておきたい。
これは研究書であり、それに相応しいとても上品な装丁である。鈴木成一さんというかたのようだ。
本には装丁も重要な要素だと思っているので、このセンスの良さには脱帽するばかりである。装丁の良い本にハズレは少ない。


痴女の誕生 アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか
安田理央
4778315138
 
| 【本】 | 14:11 | comments(0)
とみさわ昭仁さんの「無限の本棚」
マニタ書房店主で、ライターのとみさわ昭仁さんの新刊、無限の本棚を読んだ。

この本は、とみさわさんの自分史にもなっているのだが、彼がどうやって特殊古書店というちょっと変わった古本屋さんを営むようになるか、そして、コレクターとは何かを独特の視点から書いている。
コレクションに興味のある人は勿論、興味のない人にも面白く読んで貰えるに違いない。ほんの少しだけ、私も情報提供したので、お役に立てて光栄である。
是非、たくさんの人の読んで貰いたいと思う。

下手な感想を書くより読んで貰ったほうがすぐに本書の面白さが分かると思うので、それについてはあまり書かない。

それよりも、とみさわさんがマニタ書房を開いたとき、驚いたことが2つあったので、それについて書いてみようと思う。

ひとつは、この古本屋さんに並んでいる大半の本の原価があらかじめ分かっているという事だ。
何しろ、店主自らブックオフという仕入れ先をネタにしているのである。従って、マニタ書房に置いてある本の仕入値は108円であることが多いというわけだ(もちろん、そうじゃないのもあるでしょう)。

だから、マニタ書房の本の多くは、原価108円で、そこから値付けされていると思って、ほぼ間違いない。

勿論、全国各地のブックオフを回るわけだから、そういった経費も馬鹿にならないと思うので、そういうものを原価参入すれば、立ちどころに仕入値は300円以上になるだろう。

しかし、最近の人はそんな複雑な計算をしない。108円で買ったものを1000円で売ったらボッタくり!と思うんだろうな。だからそういう事を考えちゃう素人は、マニタ書房で本は買わないんじゃないだろうか。これって、物凄い客の選別方法だと思う。

マニタ書房に置いてある本は、稀覯本は少ないかもしれないけど、そう簡単に見つかる本ではないものも多い。だから、客は108円という仕入価格をベースに、とみさわさんが設定した値段を見て、その価値を判断することになる。

ものによっては市場価格より安いかもしれないし、逆に高いものもあるかもしれない。まあ、大半はブックオフで108円で売ってる本だからね。自分で探せば108円だよね。

しかし、それを探し出す労力を換算すれば、間違いなく売値以上の価値があることだろう。そんな計算をするかどうかは別として、そこを、客は試されているのだ。

これはある意味、とても怖い事である。逆に言えば、とみさわさんと価値観が共有出来れば、その本は買うと思うし、ずれていれば買わない。つまりそれは、自然ととみさわさんに近い価値観の持ち主が常連客となっていくわけで、店主好みの客が育ちやすい環境が作れるという事だ。

これは、ある意味古本屋さんにおける常連客育成のパターンのひとつではあるんだが、自分の欲しい本の品揃えという「趣味性」の共通点と、値付けという「価値観」の共有が同時に図れるわけである。

その意味で、ブックオフで仕入れて売るという形を作り、それを公言したのは、偶然かもしれないけれど、かなり「当たり」の行為であったと言えるだろう。それが意図していたものだとするなら、もう脱帽するしかない。

もう一つは、買い取りをしないという事だ。
自分の目利きで選んできた本を売るだけの店。それがマニタ書房である。

なんだ、それって結局とみさわさんの本棚じゃない。
僕らはとみさわさんの本棚から本を抜き取って買っているだけなのだ。

それに気づいたとき、とても羨ましいなと思った。
マニタ書房は、とみさわさんの蒐集欲を見たしつつ、自らの商売になっているという意味で、コレクターが到達すべき究極の店のひとつになっているのだ。

趣味で集めている本の2冊目を買う事はない。だが、マニタ書房店主は、その本が売れたら堂々と同じ本の2冊目を買う事が出来る。同じ物を何度も買う喜び!これ、本当に羨ましいんだよなあ!まさに無限の本棚というタイトルがドンピシャリで、なるほどと感心してしまった。

素人の我々は、いくらブックオフが好きで、毎日のように通っていたとしても、同じ本を2冊買うことはまずない。まあ、稀覯本が108円でブックオフに並んでいたら、買ってその足で古本屋に持って行ったりすることもたまにはあるけれど、「せどり」を職業や趣味にするつもりはないし、古本屋に持っていくのも面倒くさい。ましてやヤフオクなんかで売るのは効率が悪すぎる。

でも、とみさわさんはそれが職業だ。仕入れた本に値段をつけて店の棚に置くだけ。すぐに売れるかもしれないし、ずっと本棚に残っているかもしれない。しかし、売れればまた同じ本を買う事が出来る。まだ本棚に残っていても、予備として仕入れておくこともできる。

普通、商売を行う人にとって、仕入れは単なる商行為に過ぎない。でも、とみさわさんはその仕入れ作業までも趣味にしているのだ。こんな羨ましいことはないよ。


無限の本棚: 手放す時代の蒐集論
とみさわ 昭仁
4757224591
 
| 【本】 | 17:12 | comments(0)
昨日に続いて、私を構成している9冊。
いわゆるフィクション小説からセレクトしました。
吉村昭の戦艦武蔵は最後まで入れるかどうか悩んだのですが、ノンフィクション作家なので外しています。

こちらも解説しておきましょう。



上段左から

孤島の鬼 / 江戸川乱歩
江戸川乱歩と横溝正史は外せない。小学校時代はポプラ社の少年探偵団シリーズが愛読書だったが、中学に入って文庫を読むようになり、まず最初に買った孤島の鬼でノックアウト。選んだ理由はただ単に全集の1巻目だったからに過ぎない。人工的シャム双生児の「秀ちゃん」に恐ろしいまでの性的興奮を覚えた。後に読んだ「人間椅子」や「芋虫」も凄かったけれど、最初に読んだ文庫本がこれだったのが運の尽きであった。中学1年生のことである。ちなみに現行の文庫は一部表現に修正があるらしいので、古い春陽文庫版を推す。

獄門島 / 横溝正史
横溝正史も中学生の頃の一大ブームで熱中した。一作品に絞るのは困難であるが、プロットをビジュアル化した時に一番映えるのは、三人の男を殺した犬神家よりも、三人の少女を殺した獄門島か悪魔の手毬唄という事になるか。「キちがいだが仕方がない」という名文句および俳句をモチーフにしている点で獄門島に軍配を上げたい。磯川警部の悲恋ものの手毬唄も捨てがたいけどね。映画版の佐分利信さんの名演に大きく影響されているかな?
高校時代、触発されて自らも本格推理小説を書こうとチャレンジしたが頓挫した苦い経験あり(苦笑)

グインサーガ / 栗本薫
日本のSF超大作は未完のまま終わる作品が多すぎる。これも余計な寄り道や趣味丸出しのヤオイなどに走らず、ストイックに書いていれば作者の死を待たずに全100巻で完結していたはずである。みんな取り巻きが悪い。この作者に限らず、スーパーマンは夭逝するんだよなあ。生き急いだ感があり、それがとても残念。作品は後継者を得て続いているが、気負いすぎて変な方向に行ってしまった。40年付き合ったので、完結まで見守るしかないと思っている。

中段左から

魔獣狩り / 夢枕獏
夢枕獏を高く評価するのは、魔獣狩りをちゃんと終わらせたこと。だから餓狼伝もキマイラも終わらせてね。明るいサブキャラの毒島獣太と「ひるこ」のコンビが好き。毒島のスタイルにあこがれて、チェスターバリーのスーツを買おうと思ったら、オーダーしか合わなくて、めん玉飛び出る値段になってしまい、頓挫した苦い経験あり。

麻雀放浪記 / 阿佐田哲也
雀坊の雀は麻雀の雀。そのくらい私を構成している根幹に位置づく小説である。でも、なんたってあこがれるのは主人公の「坊や哲」より「ドサ健」だね。映画版では鹿賀丈史が好演。後日譚の「ドサ健ばくち地獄」も名作。自分には博才が無いので、こういうアウトサイダーな人たちにはとても憧れる。なりたいとは死んでも思わないが。

家族八景 / 筒井康隆
星新一よりも小松左京よりも筒井康隆。これは我々の世代では仕方ないことなのかもしれない。数々の名作があるが、ひとつに絞れと言われれば家族八景だろうか。七瀬三部作は、後半になればなるほど違和感が増してしまった。家族八景の時のドライで未成熟な七瀬が一番いい。

下段左から

失われた世界(ロストワールド) / コナン・ドイル
最初に読んだSF小説だと思う。文庫本ではなく子供用に編集された本で、イラストが多く挿入されていた。恐竜大好きな少年だったので、これにはハマったな。ラストのタイムパラドックスも、非常に好きなオチである。中学生になって、作者がシャーロック・ホームズを書いた人だと知って仰天した。

猫は知っていた / 仁木悦子
読みやすい文体。とっつきやすい設定。でも本格推理。この人の作品は全て好きである。一番好きな推理作家を上げろと言われれば、たぶんこの人を推す。幼いころに脊椎カリエスを患い、ほとんど外出もままならない体で、独学で勉強して小説を書いたという話には、ひたすら感服するしかない。20冊以上の著書を残している作家で全作コンプリートしているのは横溝正史と並んで二人しかいない。(筒井康隆も江戸川乱歩も全作品を読んではいない)

ドリトル先生シリーズ / ヒュー・ロフティング(井伏鱒二訳)
大人になったら獣医になりたいという夢を決めた本。残念ながら諸事情で獣医の道には進めなかった。全12巻を全集で集めた。ポプラ社の少年探偵団シリーズと並んで、小学校時代の私の本棚にはこのシリーズが棚の半分を占めていた。


| 【本】 | 13:28 | comments(0)
神田から本屋が消えた。
3年ほど前まで、会社の最寄り駅は神田であった。
そのころは、南口の駅前に本屋があった。北口の中央通り沿いにも大型チェーン店があったのだが、こちらは撤退してしまっていた。

先日、久々に立ち寄ってみたところ、南口駅前の本屋がセブンイレブンに化けていた。父の代から贔屓にしていた本屋だったので、ちょっとショックであった。

ということは、、、あれっ、神田で本買えなくなった?

西口商店街にあった小さな本屋はとうに無くなっている。
外堀通りに1軒あったなと思い、そちらまで足を運んでみたが、そこも見事に無くなっていた。

そんなわけで、神田駅周辺では、コンビニで売っている雑誌以外の本は買えなくなってしまったのだった。

本屋受難の時代だねえ。

 
| 【本】 | 13:55 | comments(0)
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