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間違ったサブカルで『マウンティング』してくるすべてのクズどもに

この本の著者のロマン優光という人の事は、名前は聞いた事があるのだが、どんな人だか全然知らなかった。私の友人の中にはサブカル界隈のかたが多いので、おそらく友達の友達くらいの距離にいるかたなのだと思うのだけれど、全く面識はない。

掟ポルシェ氏と共にロマンポルシェというバンドでディレイを担当しているという、何だか良く分からないミュージシャンの人のようである。ディレイ担当って何だ?ブライアン・イーノか?

掟ポルシェ氏は盟友の映画バカさんの自主製作映画に出演していたりするし、私の周囲でも良く耳にする名前なので、その特異なキャラクターとともに印象深いのであるが、ロマン優光氏については全くノーチェックであった。たまたま先日、マニタ書房の開店5周年記念にお邪魔した際に、来店していた方々の会話の中で「ロマン優光」の名前が出てきて、へえと思ったくらいである。

ロマン優光という字面から見ると、新宿末廣亭の昼の部の早い時間に、今時誰も驚かないような新聞紙の手品とかステッキが花になっちゃうやつとかを、つまらなそうに演じているピン芸人というイメージがあって、見た目も七三に分けてポマードをこってり塗った頭に丸眼鏡、カイゼル髭に上から下まで真っ白の燕尾服という出で立ちを連想してしまう。

ところで、偉そうなことを書いているのだけれど、私はごく普通のサラリーマンであって、たまたまコレクター仲間に、とみさわ昭仁さんとか映画バカさんのようなかたが居たおかげで、サブカル界隈の方々とも交流をするようになったのだが、基本的には飲み会でご一緒させて頂く飲み仲間の域を出ないので、え?あのひとが漫画家の○○さんだったの?!なんていうのを後で気が付いたりして、冷や汗をかくことが度々ある。一緒に楽しく飲むのが主題なので、その人がどんな職業なのかとか、まるで興味ないしね。

最近は、なかなか人の名前が覚えられないので、もしかしたらどっかの飲み会とかでお会いしていたかもしれないと思って、これを機会にロマンポルシェのPVを見て、ようやくロマン優光氏の外見を見たのだが、前述の冴えない手品師の印象は全くない小太りのオッサンであった。実際に、お会いしたことはないと思う。

wikiなどを読むとロマン優光の優光は、UWFの宮戸優光から取ったらしいのだが、中野でも安生でもなく宮戸っていうのが、とっても胡散臭くていいよね。

で、この本。

なかなか兆発的でヤバい感じのする本だが、内容はタイトルほど過激ではなかった。中森明夫と岡田斗司夫についてはクソ味噌に貶していたが、あとはそうでもないという印象。

私はどうもこのあたりの人たちの情報に疎くて、中森明夫の「おたくの研究」も話には聞いていたが、どんな内容のことが書いてあったかは、この本を読んで知ったくらいである。こりゃあ酷いね。ある友人が、「おたく」という言葉に今でも抵抗があるのは、「おたくの研究」の悪い影響と言っていたのを思い出した。我々世代の人間にとって「おたく」とは差別用語なのであるが、その代表的なものが中森の「おたくの研究」と言っていいのだろう。

岡田斗司夫はオタクとサブカルの分断に力を注いだらしいが、確かに一部のオタクと一部のサブカルは仲が悪いらしい。らしいというのは、話に聴くだけで実際そういう諍いを目にしたことが無いからなのだが、そのあたりも意識的に工作されてきた事なのだろうなあ。

まあ、その辺の、私の嫌いな人をバッサリ切っている所は確かに痛快で、それ以外にもロマン氏が気に入らないとしているサブカル周辺の有名人は、ことごとく私も気に入らなかったりしたので、その意味ではロマン氏に物凄い共感を抱いた。

唯一の違和感は「みうらじゅんはサブカルではない」としている部分なのだが、私のようなサブカル素人には、みうらじゅんこそサブカルの代表みたいなイメージがあるので、何を言っているのかさっぱり理解出来なかった。このように、サブカルというのは少しズレただけで、まったく話が通じなくなるんだなあ、という事は十分に理解できたので、おそらく100人いれば100通りのサブカルがあるという事なんだろう。それはとても面倒くさいことだ。

ところで、私は明らかに「オタク」気質のほうに分類されるわけだが、「サブカル」というのがどうにも定義出来なくて困っていた。色々な人によって色々な分類があり解釈があるのが「サブカル」らしいんだけど、この著書にある「町山智浩が作ってきたものとその周辺にあるもの」という定義はとても分かりやすかった。

この本にも書いてあるけれども、町山智浩氏の来歴というのはまさにサブカルチャーを地で行っていたんだなあ、というくらい色々なサブカル的なモノに首を突っ込んでいる印象があるんだが、一つも著書を読んでいない私は、最初に町山智浩氏と町田康(町蔵)氏を混同していたという事を告白しなければならない。ま、私のサブカル知識なんてそんなもんです。

その町山智浩に対しても、それなりに苦言を呈しているのだが、愛情が溢れていて、中森や岡田を貶すのとは明らかに一味も二味も違う文章になっているのが微笑ましくもある。が、それが行き過ぎて水道橋博士へのバッシングが多少きつめになっているような気がする点が残念だった。いい年こいたオッサン同士なんだから、片方だけを悪者にするのはね。いや、私も水道橋博士はかなり苦手なんで、内容には同意するけれども。

この本を読んで、サブカルというものの問題点が、かなり明らかになった。モヤモヤとしていた部分が随分晴れたように思う。しかし、それはロマン優光の眼を通してのサブカル論なので、別の人のサブカル論で気に入ったものがあれば、また印象が変わるのかもしれない。

しかし、幾つかのサブカル論を読んできて、ここまで私の感覚に近く、ある程度納得出来、同感出来る文章は初めて読んだ。大抵、根本的な部分で違和感があったりするんだよね。そういうモヤモヤ感が一切なかったという意味では、たぶん私の立ち位置はかなり著者に近いところに居るという事なのだろう。

これを機会に、私とサブカルについて少し考えてみたいなどと思っているのだが、twitterなどでサブカル方面の方々のツイートを読んでいると、いつもケンカばかりしていて剣呑な印象を受けたので、サブカルには近寄らないほうが良いだろうか。

とりあえず、岡田あーみんという人のマンガが面白そうなので、これだけは読んでみることにしよう。

間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに (コア新書)
ロマン 優光
4864369836

| 【本】 | 12:59 | comments(0)
痴女の誕生
駅弁仲間っていうか飲み仲間っていうか、そういう感じで、たいてい酒の席でしか会わない安田理央さんが、ご自身の専門分野であるアダルトビデオの歴史を分かりやすく書いた本。

たいへん読みやすい文章なので、普段あまり本を読まない人にもおすすめである。

私は、独身時代は随分アダルトビデオにはお世話になったものだが、当然のように彼女がいた時期とか、結婚後は利用していないので、80年代初頭の時代からところどころ歯抜けで、95年くらいまでの、一部のAV女優さんしか分からなかった。

最近の人では、つぼみさんとか、名前だけ知ってる人が数人いる程度なので、その都度スマホで名前検索しながら画像を見るようにしていたのだけれど、当然ながらAV女優さんなので裸の写真が山ほど出てきて困惑した。ロリ女優とかおばさんとか書かれると、いったいどんな顔なのか知りたくなって検索しただけなのに、裸のほうが多いんだよな。当たり前だけど。

そこで感じた事は、最近の若い人は、アダルトビデオなんか借りなくても、スマホで簡単に画像や動画が検索出来てしまい、エロに対する敷居が随分低くなっているのだなあ、という事であった。

特に名前を秘すが、数人の女優さんは、いきなり無修正画像とかが出てきてコーヒー吹きそうになってしまった。これじゃあ18禁なんて無意味じゃないの?

僕らの世代は、アダルトビデオの前にビニール本があり、それ以前はPLAYBOYとかGOROとかの雑誌のグラビアでしかヌードは拝めなかった。ポルノ映画など、高校生ではまず見られなかったし、そういうモノは写真に頼っていた時代である。

女性店員さんのいる本屋では、そういう本はなかなか買えず、商店街の隅にあった爺さん婆さんが経営している小さな古本屋で、他の雑誌に紛れてエロ本を買うしかなかったし、その時の興奮とか、表紙だけを見て内容を判断する「選球眼」を鍛える必要があった。

だから表紙だけ可愛くて中がメタメタの失敗作を掴まされた時の落胆は大きかったし、それはレンタルビデオになってからも同じであった。

今の若い子たちは、そういう口惜しさを感じることも、良いものを見極める努力をすることもなく、簡単にエロ画像や動画を手に入れることが出来るから、そういうものに対する興奮とか高揚感が薄くなり、それ故に草食男子などが育成されてしまうのではないか、などと思ったりする。

話を安田さんの本に戻そう。

この本では、淡々とAV史が語られているのであるが、時代の流れによって変遷する市場ニーズが適格に描かれ、なるほどなと頷きながら読み進めていった。
日本人の性的嗜好の変化や、AVに求めらる市場の変化などが、その時代背景と相まって、日本のサブカル論としても大変興味深くまとめられており、どちらかといえば硬派な本である。ある意味、女性にもおすすめの本だ。
特に巻末のAV年表は資料性が高く、これだけでも買う価値がある。

ただし、意図的なものと思われるが、いわゆるアダルトアニメに関しては、全く触れられておらず、そこは割り切りと思われる。あの世界も奥が深そうだからね、なまじ表面だけなぞるより、すっぱり切って正解と思う。

正直、現在AV業界で使われている「痴女」という言葉の意味が全く理解できておらず、本書を読んでようやく「痴女の誕生」という本書のタイトルの意味が理解できた程度の素人なのであるが、第4章の「痴女は女が作った」では、今までのAV史の流れを押さえたうえで、痴女というジャンルを作り出していく過程の論理が展開してゆき、どんどん引き込まれていく。

私は本当にAVには疎いので、最近では、たまに出張先のホテルなんかで、料金込みテレビ見放題なんていうサービスがあったりして、そこでケーブル放送のエロビデオをザッピングする程度でしか見た事が無いのだが、そういう素人にとって、とりあえず見てみようと思うのは、まず第一にAV女優っぽくない可愛らしい感じの単体ものである。

そして、画面上に表示される「ジャケット写真」と現実に出てくる女優さんのギャップ(主として顔の違い)にげんなりして、見るのを辞めてしまうことが多いのであるが、そういう視点でしかAVを見ていない身にとっては、未だに企画ものとか熟女とか、何が面白いのかさっぱりわからない。

個人的な話になってしまって恐縮なのだが、普段の顔とセックスシーンでの顔の違いで、セックスシーンのほうが良い顔をしている女優さんというのはとても少ない。そういうのを発見すると当たりだと思うんだけど、そういうニーズって無いのかな?
エロ漫画やエロアニメの1ジャンルである「アへ顔」みたいなものは反吐が出るほど嫌いなので、その逆みたいなニーズがあってもいいと思うのだが、そこまで突き詰めるつもりもない。

変な話になってしまった。自分の性的趣向を暴露してどうする。話を戻そう。

さて、本書の第3章では熟女が取り上げられている。昔からオバサン趣味、年上嗜好のある友人とかはいたが、私は全くそういう素養はないので、熟女なんかありえないだろうと思って、本書に出てくるAV熟女の方々の写真を見て、全く問題なくストライクゾーンに入っていたのに驚愕した。
そりゃそうだよ、54歳のおっさんなら同年代の女性でも、まず問題ないよね。ましてや40代、30代なら全然OKだ。なるほど、熟女というのは、単純に年上願望とかそういうものだけではなく、AVの利用者層の年齢上昇によって、女優さんの許容範囲が上がったという要素もあるのだね。
良く考えれば当たり前の事なのだけれど、AVを見るという行為は、ある意味自分自身が中学高校生に戻ったような気分になってしまうので、余計に熟女は無いんだと決めつけてしまっていたことに気が付いた。
逆に、中年は自分の娘世代の10代、20代前半のAV女優には興味を惹かれない場合もある、という話も新鮮だった。ウチには子供が居ないので、なかなかそういう感覚にはならないが、自分の娘と同じくらいのAV女優さんに欲情してしまうのは、倫理的な問題も絡んでくるので、色々と難しい問題であろう。

その一方で、安田さんが自分の著作やブログなどで紹介する「良いAV」は、素人の私にはレベルが高すぎて、割と理解できないものが多い。もっと単純に、可愛い子が普通にセックスしてるだけのほうが見ていて楽だと思うんだが、やはりAVを見続けたプロの人々にとっては、必ずしもそういうものだけではないのだろう。

特にアダルトビデオなどは、段々と慣れてきて、刺激が強いものを要求しがちなので、そういう部分での感覚の差というものを、本書に於いても感じる部分があった。

だから、本書の第5章の「男の娘の時代」は、当初さっぱり理解できなかった。
最初は、AVを見飽きたヘビーユーザーとか、普通の女の子のセックスシーンを撮っただけのものでは満足できなくなった人たちが「男の娘」を持てはやすのであろうか、と考えていた。

その答えはこの章の最後にヒントが書かれている。今の若い男の子は男性器が好きで女性器が嫌いという人が多いのではないか、という話だ。

僕らの世代は、女性器というのは不可侵領域であって、余程恵まれた(?)人でなければ、18歳くらいまでに直接女性器を見る機会などなく、女性器の詳細を知ることは出来なかった。だから、ある程度大人になってから、それに接しているので、実物と幻想のギャップに幻滅したことはあったとしても、女性器はある意味神格化されている。それを汚いとかグロいと思う前に、思わず拝んでしまう感じがある。だから、おおむね女性器は好きなはずだ。全くの余談ではあるが、女性器を「観音様」と称した感性は素晴らしいと思うね。

しかし、最近の若い人は、ネット検索すれば、実に簡単に女性器の無修正写真や動画に接することが出来る。それには、性的興奮を覚える以前にグロテスクであるというイメージを持つのではないか。

実際、女性器は内臓に近い感覚があるので、冷静に見ると結構グロテスクである。しかし、僕ら世代はそこに墨が塗られ、想像することで性欲を膨らませてきた。だから、実際に女性器を見た時に、グロテスクである以上の興奮があったのだが、今はそういう感覚は少ないのだろう。

人間の場合、性器と尿器はほぼイコールなので、汚いというイメージもあるだろう(それは男性器のほうに顕著だと思うけれど)。
つまり男の娘ブームは、トランスジェンダー的なものではなく、単純に男性が男性器好きな結果としてもたらされた男根信仰みたいなもの、という事だ。だからこそ、一過性のものであって、今は廃れ始めているのだという。

そういった、理解不能だった事象にも、ある程度の回答を得ることが出来たので、個人的には大変有意義な本であった。

最後に、AV女優の名前だけを並べ、薄い明朝体で覆った装丁の素晴らしさにも言及しておきたい。
これは研究書であり、それに相応しいとても上品な装丁である。鈴木成一さんというかたのようだ。
本には装丁も重要な要素だと思っているので、このセンスの良さには脱帽するばかりである。装丁の良い本にハズレは少ない。


痴女の誕生 アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか
安田理央
4778315138
 
| 【本】 | 14:11 | comments(0)
とみさわ昭仁さんの「無限の本棚」
マニタ書房店主で、ライターのとみさわ昭仁さんの新刊、無限の本棚を読んだ。

この本は、とみさわさんの自分史にもなっているのだが、彼がどうやって特殊古書店というちょっと変わった古本屋さんを営むようになるか、そして、コレクターとは何かを独特の視点から書いている。
コレクションに興味のある人は勿論、興味のない人にも面白く読んで貰えるに違いない。ほんの少しだけ、私も情報提供したので、お役に立てて光栄である。
是非、たくさんの人の読んで貰いたいと思う。

下手な感想を書くより読んで貰ったほうがすぐに本書の面白さが分かると思うので、それについてはあまり書かない。

それよりも、とみさわさんがマニタ書房を開いたとき、驚いたことが2つあったので、それについて書いてみようと思う。

ひとつは、この古本屋さんに並んでいる大半の本の原価があらかじめ分かっているという事だ。
何しろ、店主自らブックオフという仕入れ先をネタにしているのである。従って、マニタ書房に置いてある本の仕入値は108円であることが多いというわけだ(もちろん、そうじゃないのもあるでしょう)。

だから、マニタ書房の本の多くは、原価108円で、そこから値付けされていると思って、ほぼ間違いない。

勿論、全国各地のブックオフを回るわけだから、そういった経費も馬鹿にならないと思うので、そういうものを原価参入すれば、立ちどころに仕入値は300円以上になるだろう。

しかし、最近の人はそんな複雑な計算をしない。108円で買ったものを1000円で売ったらボッタくり!と思うんだろうな。だからそういう事を考えちゃう素人は、マニタ書房で本は買わないんじゃないだろうか。これって、物凄い客の選別方法だと思う。

マニタ書房に置いてある本は、稀覯本は少ないかもしれないけど、そう簡単に見つかる本ではないものも多い。だから、客は108円という仕入価格をベースに、とみさわさんが設定した値段を見て、その価値を判断することになる。

ものによっては市場価格より安いかもしれないし、逆に高いものもあるかもしれない。まあ、大半はブックオフで108円で売ってる本だからね。自分で探せば108円だよね。

しかし、それを探し出す労力を換算すれば、間違いなく売値以上の価値があることだろう。そんな計算をするかどうかは別として、そこを、客は試されているのだ。

これはある意味、とても怖い事である。逆に言えば、とみさわさんと価値観が共有出来れば、その本は買うと思うし、ずれていれば買わない。つまりそれは、自然ととみさわさんに近い価値観の持ち主が常連客となっていくわけで、店主好みの客が育ちやすい環境が作れるという事だ。

これは、ある意味古本屋さんにおける常連客育成のパターンのひとつではあるんだが、自分の欲しい本の品揃えという「趣味性」の共通点と、値付けという「価値観」の共有が同時に図れるわけである。

その意味で、ブックオフで仕入れて売るという形を作り、それを公言したのは、偶然かもしれないけれど、かなり「当たり」の行為であったと言えるだろう。それが意図していたものだとするなら、もう脱帽するしかない。

もう一つは、買い取りをしないという事だ。
自分の目利きで選んできた本を売るだけの店。それがマニタ書房である。

なんだ、それって結局とみさわさんの本棚じゃない。
僕らはとみさわさんの本棚から本を抜き取って買っているだけなのだ。

それに気づいたとき、とても羨ましいなと思った。
マニタ書房は、とみさわさんの蒐集欲を見たしつつ、自らの商売になっているという意味で、コレクターが到達すべき究極の店のひとつになっているのだ。

趣味で集めている本の2冊目を買う事はない。だが、マニタ書房店主は、その本が売れたら堂々と同じ本の2冊目を買う事が出来る。同じ物を何度も買う喜び!これ、本当に羨ましいんだよなあ!まさに無限の本棚というタイトルがドンピシャリで、なるほどと感心してしまった。

素人の我々は、いくらブックオフが好きで、毎日のように通っていたとしても、同じ本を2冊買うことはまずない。まあ、稀覯本が108円でブックオフに並んでいたら、買ってその足で古本屋に持って行ったりすることもたまにはあるけれど、「せどり」を職業や趣味にするつもりはないし、古本屋に持っていくのも面倒くさい。ましてやヤフオクなんかで売るのは効率が悪すぎる。

でも、とみさわさんはそれが職業だ。仕入れた本に値段をつけて店の棚に置くだけ。すぐに売れるかもしれないし、ずっと本棚に残っているかもしれない。しかし、売れればまた同じ本を買う事が出来る。まだ本棚に残っていても、予備として仕入れておくこともできる。

普通、商売を行う人にとって、仕入れは単なる商行為に過ぎない。でも、とみさわさんはその仕入れ作業までも趣味にしているのだ。こんな羨ましいことはないよ。


無限の本棚: 手放す時代の蒐集論
とみさわ 昭仁
4757224591
 
| 【本】 | 17:12 | comments(0)
昨日に続いて、私を構成している9冊。
いわゆるフィクション小説からセレクトしました。
吉村昭の戦艦武蔵は最後まで入れるかどうか悩んだのですが、ノンフィクション作家なので外しています。

こちらも解説しておきましょう。



上段左から

孤島の鬼 / 江戸川乱歩
江戸川乱歩と横溝正史は外せない。小学校時代はポプラ社の少年探偵団シリーズが愛読書だったが、中学に入って文庫を読むようになり、まず最初に買った孤島の鬼でノックアウト。選んだ理由はただ単に全集の1巻目だったからに過ぎない。人工的シャム双生児の「秀ちゃん」に恐ろしいまでの性的興奮を覚えた。後に読んだ「人間椅子」や「芋虫」も凄かったけれど、最初に読んだ文庫本がこれだったのが運の尽きであった。中学1年生のことである。ちなみに現行の文庫は一部表現に修正があるらしいので、古い春陽文庫版を推す。

獄門島 / 横溝正史
横溝正史も中学生の頃の一大ブームで熱中した。一作品に絞るのは困難であるが、プロットをビジュアル化した時に一番映えるのは、三人の男を殺した犬神家よりも、三人の少女を殺した獄門島か悪魔の手毬唄という事になるか。「キちがいだが仕方がない」という名文句および俳句をモチーフにしている点で獄門島に軍配を上げたい。磯川警部の悲恋ものの手毬唄も捨てがたいけどね。映画版の佐分利信さんの名演に大きく影響されているかな?
高校時代、触発されて自らも本格推理小説を書こうとチャレンジしたが頓挫した苦い経験あり(苦笑)

グインサーガ / 栗本薫
日本のSF超大作は未完のまま終わる作品が多すぎる。これも余計な寄り道や趣味丸出しのヤオイなどに走らず、ストイックに書いていれば作者の死を待たずに全100巻で完結していたはずである。みんな取り巻きが悪い。この作者に限らず、スーパーマンは夭逝するんだよなあ。生き急いだ感があり、それがとても残念。作品は後継者を得て続いているが、気負いすぎて変な方向に行ってしまった。40年付き合ったので、完結まで見守るしかないと思っている。

中段左から

魔獣狩り / 夢枕獏
夢枕獏を高く評価するのは、魔獣狩りをちゃんと終わらせたこと。だから餓狼伝もキマイラも終わらせてね。明るいサブキャラの毒島獣太と「ひるこ」のコンビが好き。毒島のスタイルにあこがれて、チェスターバリーのスーツを買おうと思ったら、オーダーしか合わなくて、めん玉飛び出る値段になってしまい、頓挫した苦い経験あり。

麻雀放浪記 / 阿佐田哲也
雀坊の雀は麻雀の雀。そのくらい私を構成している根幹に位置づく小説である。でも、なんたってあこがれるのは主人公の「坊や哲」より「ドサ健」だね。映画版では鹿賀丈史が好演。後日譚の「ドサ健ばくち地獄」も名作。自分には博才が無いので、こういうアウトサイダーな人たちにはとても憧れる。なりたいとは死んでも思わないが。

家族八景 / 筒井康隆
星新一よりも小松左京よりも筒井康隆。これは我々の世代では仕方ないことなのかもしれない。数々の名作があるが、ひとつに絞れと言われれば家族八景だろうか。七瀬三部作は、後半になればなるほど違和感が増してしまった。家族八景の時のドライで未成熟な七瀬が一番いい。

下段左から

失われた世界(ロストワールド) / コナン・ドイル
最初に読んだSF小説だと思う。文庫本ではなく子供用に編集された本で、イラストが多く挿入されていた。恐竜大好きな少年だったので、これにはハマったな。ラストのタイムパラドックスも、非常に好きなオチである。中学生になって、作者がシャーロック・ホームズを書いた人だと知って仰天した。

猫は知っていた / 仁木悦子
読みやすい文体。とっつきやすい設定。でも本格推理。この人の作品は全て好きである。一番好きな推理作家を上げろと言われれば、たぶんこの人を推す。幼いころに脊椎カリエスを患い、ほとんど外出もままならない体で、独学で勉強して小説を書いたという話には、ひたすら感服するしかない。20冊以上の著書を残している作家で全作コンプリートしているのは横溝正史と並んで二人しかいない。(筒井康隆も江戸川乱歩も全作品を読んではいない)

ドリトル先生シリーズ / ヒュー・ロフティング(井伏鱒二訳)
大人になったら獣医になりたいという夢を決めた本。残念ながら諸事情で獣医の道には進めなかった。全12巻を全集で集めた。ポプラ社の少年探偵団シリーズと並んで、小学校時代の私の本棚にはこのシリーズが棚の半分を占めていた。


| 【本】 | 13:28 | comments(0)
神田から本屋が消えた。
3年ほど前まで、会社の最寄り駅は神田であった。
そのころは、南口の駅前に本屋があった。北口の中央通り沿いにも大型チェーン店があったのだが、こちらは撤退してしまっていた。

先日、久々に立ち寄ってみたところ、南口駅前の本屋がセブンイレブンに化けていた。父の代から贔屓にしていた本屋だったので、ちょっとショックであった。

ということは、、、あれっ、神田で本買えなくなった?

西口商店街にあった小さな本屋はとうに無くなっている。
外堀通りに1軒あったなと思い、そちらまで足を運んでみたが、そこも見事に無くなっていた。

そんなわけで、神田駅周辺では、コンビニで売っている雑誌以外の本は買えなくなってしまったのだった。

本屋受難の時代だねえ。

 
| 【本】 | 13:55 | comments(0)
アル中ワンダーランド 
サブカル系女性作家や漫画家には、どうして自虐的ペンネームが多いのか。
辛酸なめ子を嚆矢として、ろくでなし子、ぱいぱいでか美など、何考えてるんだか良く分からない芸名で活動している女子が多い。マゾか?

中でも、まん臭きつ子というペンネームは酷かった。あまりにも痛すぎると思っていたのだが、その命名の理由が明らかになる本である。

読んでみればなるほどという理由なのだが、それにしてもありえない話だ。自分でも嫌になったらしく改名を試みるが、平仮名にした程度では何も変わらなかったというくだりで笑ってしまった。

その、まんしゅうきつこ氏が自らのアル中体験を描いたのがこの本である。

表紙は、なかなか良い感じの絵で、それを期待しつつ中身を見ると全然違う。今までのまんしゅう氏のタッチとも違う。物凄く病的な絵だ。気違いが描いた絵のようにしか見えない。しかも、内容がアル中の気違いじみた内容になっているから、余計に怖い。

まんしゅう氏は、割と簡単にアルコール中毒に陥るのだが、酒を飲むと必ず記憶を無くしてしまうのが恐ろしい。しかもイベント会場で脱いじゃったりする。それだけでも酒を辞められる理由になるんじゃないかと思うんだが、そうならないのがアル中なんだろうね。

アル中闘病マンガとしては、吾妻ひでお氏の失踪日記があるが、壮絶な内容な割に絵柄が可愛らしいので、あまり凄みを感じなかった。が、この本は凄い。凄いというより怖い。いやー、アル中にはなりたくないなあと思わせる本だ。

なお、今週発売の週刊SPA!に、まんしゅう氏の顔出しグラビアが掲載されているそうだが、そんなの買わなくてもこの本の中でも最後の対談でご尊顔を拝むことが出来る。なかなかの美人さんなのだが、この人がこのマンガのとおりの行動をしていたと思うと、本当に背筋が凍るね。

アル中を心配している人に是非お勧めしたい本。


アル中ワンダーランド
まんしゅうきつこ
4594072461
| 【本】 | 11:02 | comments(0)
それでも私は紙雑誌を買う。
週刊アスキーが5月から完全デジタル化するんだそうな。

ま、そういう雑誌だからね。コンピュータ系雑誌がデジタル化していくのは当然の流れだと思う。本なんか買うのめんどくさいもの。

しかし、自分でも思った以上に自分の中のデジタル化が進んでいることに呆然とする出来事があった。

週末に開催された鉄道模型の即売会だったのだが、ネットに情報があまり出ていないと呟いたところ、「模型雑誌には公告出てますよ」というご指摘を頂き、冷や汗をかいた。
模型雑誌見てないもんなあ。ここ数年、ほとんど購入すらしていない。
自分の作品の載った号は献本されるし、さほど保存しておきたいと思うような情報も少ないので、ここ数年鉄道模型雑誌は全く買っていない。

技術系の雑誌としてはむしろ、プラモデル雑誌のほうが遥かに有益なので、そちらのほうばかりを買っている。私が欲しいのは資料性の高いものか、有益なテクニック紹介みたいなものがたくさん出ている本なので、その意味で、現在の鉄道模型雑誌は半ば新製品カタログと化しているので購入対象にはなりえないということだ。

最近の鉄道模型雑誌は資料性に欠けるものが多く、あまり購入動機にいたるものが多くないのが残念だ。連載ものの資料などもあるが、まとまっていないので毎号買わねばならない。それは売り方としては正しいのかもしれないが、買うほうとしては他でも情報収集できてしまうから、買わなくてもいいやという流れになってしまう。

一方、プラモデル雑誌は、毎号特集を組んでいるケースが多い。そうすると、その号を買うだけで情報が集中しているので買いやすいということがある。毎号は必要ないが、欲しいものだけ買うというパターンだね。これからの雑誌は、その方向性を目指すべきではないかと思う。

鉄道模型雑誌でも最近は特集を組むケースはあるが、総花的で表面だけを撫でているから購入動機にならない場合が多い。
もっと重箱の隅だけをクローズアップして、1点だけに絞ったほうが良いのではないかと思ったりする。あとは技術特集ね。ハンダ付けだけでも奥が深いから、そういう特集をすればいいのにとか思うんだが、基本的に鉄道模型雑誌は読者投稿で成り立っているものが多いから、そうも行かないのかもしれない。

雑誌というのは困ったもので、とにかく場所を食う。
私は一時期、鉄道雑誌を500冊くらい持っていたが、それだけで書棚3本分あった。引越しを機会にほとんど処分したけれども、一部の専門書を除いて二束三文の値段しかつかなかった。その意味でも雑誌というのはかなりお荷物になるのだ。

そこで、一部電子化を試みたことがある。いわゆる自炊ってヤツね。
本を裁断して1ページずつスキャンして保存する。裁断が勿体無い本はそのままスキャンするが、分厚いと平坦にならないので、そこは読めればいいと割り切った。図面ものは困ったけどね。

しかし、この作業がとても辛いのである。
ただでさえ時間が掛かる上に、スキャンした画像をどう保存するかが難しい。
ある程度データベース化しないと検索すら出来なくなる。
そのデータベース構築も、死ぬほど時間が掛かるので、志半ばで放棄した。

紙雑誌も欲しい資料を探すのは面倒だけれど、パラパラめくる作業が思いのほか楽しい。鉄道模型雑誌の古いものは文章を記憶するほど読み込んだので、意外とあっさり見つけられるし、探している間に全く違う資料で役に立つものを見つけたりするしね。

やはり紙の利便性はあるのだ。
| 【本】 | 09:52 | comments(2)
グインサーガ第134巻 売国妃シルヴィア
栗本薫亡きあと2人の作家に継承されたグイン・サーガシリーズの最新刊が出たので買ってみました。第1巻刊行以来、40年近くも付き合わされた作品ですので、終わるまで感想文を書き続けることにしています。

以下、ネタバレにつき未読の方はご注意ください。ちんぷんかんぷんのかたはスルーの方向で。

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初期の「あとがき」で語られた、今後の指標となる幾つかのタイトルのひとつ、「売国妃シルヴィア」であります。このタイトルの付いた本の刊行は、オールドファンには、なかなか感慨深いものがありますね。

作者の宵野ゆめ氏、あとがきに書かれていますが、今頃になってプレッシャーを感じるとは中々の傑物?そのわりには結構大胆な内容になっています。ま、プレッシャー大いに結構。栗本薫の書かないグイン・サーガには未だ抵抗がある反面、氏の著作物の大きな欠点であった大幅な横道への逸れとか異常なまでのヤオイ趣味が表に出なくなったので、実に好印象ではあります。(苦笑)

アウロラという見知らぬキャラクターが新登場しますが、これは外伝「宿命の宝冠」に登場した人だそうで、栗本薫著作以外の外伝を読んでいなかった私は少々当惑しました。これは外伝も読まなきゃならんかね。意外と「生きてる」キャラクターで中々よい感じ。

残念ながら、一点だけ物凄い違和感を感じたのは、十二選帝侯会議の開催中にダナエ侯が毒殺されたにも関わらず、さほど大騒ぎにならずにその場が流れてしまったこと。少し強引過ぎだったのと、不自然さが残りました。選帝侯毒殺なんて、下手すりゃケイロニア分裂の危機に陥るほどの大事件じゃないの普通は!!

それ以外は一気に読み終わるほど引き込まれたので、内容としては大変に宜しかったように思われます。シルヴィアの行く末が哀れですが、栗本薫ほど酷い扱いはしていない(笑)と思う点も救われます。だからこそ余計ダナエ侯の毒殺が惜しい。

ケイロニア大空位時代の始まり、という事は、この先グインがケイロニア皇帝になることは無いんでしょうか。ワルスタット侯の意外な翻心、闇の司祭の怪しい動きから鑑みるに、「心臓部に闇の卵を抱き、今まさに孵さんとしている、その国」とは、パロのことでしょうか?

パロがシルヴィアを囲い込み、本来のケイロニア皇帝として擁立し、パロが傀儡となるという策略が今後めぐらされるとすると、それはまさしくアルド・ナリスっぽいやり方とは思いますが、この人を復活させるのはなあ。亡霊的に復活して、実体は無い、というような話に留めてほしいものですが。

続刊は、五代ゆう著作「紅の凶星」、キタイ編の続きと思われますが、意味深なタイトルです。今冬刊行とか。早く読みたいものです。

売国妃シルヴィア (グイン・サーガ134巻)
宵野 ゆめ 天狼プロダクション
4150311706
| 【本】 | 11:18 | comments(0)
つげ義春さんのインタビュー記事
東京人7月号に、マンガ家つげ義春さんの最新インタビュー記事が掲載されていた。

つげ義春は、1987年に「別離」を発表してから27年間も新作が出ていないので、元マンガ家というべきなのかもしれない。息子さんが総合失調症だというのも今回初めて知った。もう書かないんだろうなあ。

今回の東京人は、ガロとCOMの特集で、それなりに読ませるボリュームがあった。つげ義春以外にも、竹宮恵子、諸星大二郎のインタビュー記事が掲載されていて、なかなか面白いものがあった。

東京人は既に8月号が発売されているので、書店で購入するのは難しいかもしれない。バックナンバーを注文するか、ネット購入をお勧めします。無くならないうちにどうそ。

東京人 2014年 07月号 [雑誌]
B00KFN720S
| 【本】 | 07:26 | comments(0)
魔聖の迷宮(グイン・サーガ133巻)
栗本薫死後、二人の作家が引き継いだグイン・サーガの新刊がやっと出た。

あとがきで作者が述べているが、体調の問題で刊行が遅れたらしい。正直、2人で書いてるんだからもう少し何とかして欲しいものだ。一人の作家が半年で1冊書ければ、1年で4冊、4ヶ月に1冊は読める。そのくらいのペースは何とか維持して貰いたい。

苦言はさておき、やっと、栗本薫の絶筆からの続きがリリースされた。これまでの2冊は続編といえども舞台を他の場所に移していたので、本当の意味での続編は本書と言っていいだろう。

通常のページ数の半分で刊行された130巻の薄い本。その尻切れトンボの内容に大きな喪失感を覚えたものだったが、それが漸く埋まったように思う。

ルールバ、エイラハ、タミヤ、イグ=ソッグ、ババヤガ、懐かしの「七人の魔道師」の面々が生き生きと蘇ってくる。あれからもう35年も経ってしまっているのだなあ。

七人の魔道師は、グインサーガの刊行が始まってすぐ、SFマガジンに掲載された。だから本当に初期も初期の作品である。その長さゆえに多くの矛盾を孕み、その齟齬を生めるために四苦八苦した形跡が感じられる正編なのだが、特に「七人の魔道師」における幾つかの致命的な齟齬は修正されずに終わっている。そこをどう取り繕っていくかが、今後書き続けていく者への試練だと思うが、本作ではそれを逆手に取って、かなり上手く利用している事が感じられた。ここは作者の手腕というべきか。

多くのかたが感じている「語り手」の違和感はあまりない。が、一部の表現で確かに読みづらい部分があった。特にブランがヤガ入りをしたあたりでの回想シーンと現実との切り替わりの部分が分かりづらかった。そのほか細かい表現でも、読んでいてつっかえる部分があり、そういう意味では栗本薫の文章構成力は半端ではなかったなあと思ったり。

本書から、グイン・サーガは完全に栗本薫の手を離れるようだ。今後の展開のプロットはほとんど残っていないという。(昔、創作ノートってのがあったように思うんだが、あれはどうなったのかな?)新たなキャラクターも生まれ、それがなかなか重要な位置を占めそうな雰囲気もある。

次回は宵野ゆめ氏による「売国妃シルヴィア」。こちらもかなり初期にそのタイトルが明らかにされていた本である。「長い物語の中の灯台となる、幾つかの指標」のひとつだ。さて、どんな売国妃が現れるか、楽しみにしておこう。

魔聖の迷宮 (ハヤカワ文庫JA)
五代 ゆう 天狼プロダクション
4150311625
 
| 【本】 | 09:36 | comments(0)
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