クルクルちゃん TOPに戻る

Since 1997.1.1
CONTENTS

雀鉄BLOG
 軽便鉄道模型製作記


大盛飯
 金属恵比須御用達写真サイト

INPRESSIONS
 随時更新 

パチモン怪獣図鑑
 更新停止中 

大洋ホエールズ
 更新停止中 

MY BOOKMARKS
 2010/07/06 

CALENDER
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< April 2018 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
RECENT COMMENT
  • ロリーナ買い占め問題を考えた
    雀坊。 (04/02)
  • ロリーナ買い占め問題を考えた
    別ジャンルのコレクター (04/02)
  • 就職祝い。
    雀坊。 (03/25)
  • 就職祝い。
    レオン (03/25)
  • 就職祝い。
    彗星丈二 (03/25)
  • 艦これ日記(159) 【捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)】 「エンガノ岬沖」(E7)甲 第2ゲージ攻略
    雀坊。 (03/12)
  • 艦これ日記(159) 【捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)】 「エンガノ岬沖」(E7)甲 第2ゲージ攻略
    いけちょ (03/12)
  • 艦これ日記(154) 【捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)】 「サマール沖/レイテ湾」(E4)乙
    雀坊。 (02/22)
  • 艦これ日記(154) 【捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)】 「サマール沖/レイテ湾」(E4)乙
    イケチョ (02/21)
  • 艦これ日記(153) 【捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)】 「エンガノ岬沖 」(E3) 甲攻略
    雀坊。 (02/20)
イチオシ
qrcode
TEXT STYLE
ぼくらの時代 栗本薫電子書籍全集3
2009年に亡くなった栗本薫の未発表原稿「ぼくらの事情」が発見され、電子書籍全集に収録されるというニュースを見て、早速購入してみたのが本書である。

栗本薫と言えば、グインサーガや伊集院大介などのキイワードが思い出されるSF&ミステリ作家で、速筆であり、膨大な著作が残されている事でも有名である。

彼女の書いたグインサーガは130巻に上り、死後2名の作家が引き継いで現在も刊行され続けている大河ファンタジー小説だ。

その130巻を再版するとなると、仮に1巻あたり4千冊刷ったとしても52万部になってしまう。そこまでの在庫を一気に抱える体力は、今の出版社には無いし、これらのシリーズが紙で再販される機会は、残念ながらもう無いのかもしれない。

だからこその電子化であり、この手の多作な著者の作品を電子化して再版するのは、それなりの意味があるのではないかと思った。もっとも、この全集にはグインサーガシリーズは収録されないようだ。別途、ハヤカワ書房で電子化されるのだろうか。ぜひ電子化して欲しいものである。

で、「ぼくらシリーズ」である。

1978年の江戸川乱歩賞を最年少で受賞した処女作「ぼくらの時代」を筆頭に、「ぼくらの気持」「ぼくらの世界」の三部作。筆者と同姓同名の主人公「栗本薫」がストーリーテラー兼名探偵として活躍する物語だ。

筆者の栗本薫は女性であるが、主人公の栗本薫クンは男性である。このような形の著作は今まで読んだことが無かった。

約35年ぶりくらいに再読して思い出したのは、ああ、ミステリ作家としての栗本薫、特にぼくらシリーズって嫌いだったなあ(苦笑)、という事だった。
グインサーガや伊集院大介シリーズは好きなのだけれども、ぼくらシリーズとは相性が悪かった。まあ、この人に限らず、その作者の著作全てが好きっていう事はないのでね。推理作家で全作品が好きっていうのは仁木悦子くらいのものだ。

※以下、ネタバレを含むので要注意。

「ぼくらの時代」で感じた違和感は、主人公を含めた若い男3人が、連続女子高生自殺を許容してしまったという点に尽きる。初めて読んだ当時高校2年生くらいだった私は、どんな理由があっても、女子高生の自殺を補助するような行動を、若い男が取るだろうか?という疑問を感じたものだった。

男なんだから、喩え好きでも嫌いでもない女の子だったとしても、これから自殺をしようとしている少女を止めるどころか、それを補助するような行動に出るなんてことがあるはずがない。と、若き日の私は思ってしまったのだ。

結局、栗本薫(作者)は女だから、男の感情なんで分からないんだろう、と、妙な反感を持ってしまったものである。

今になってみれば、多少無理があるとはいえ、そういう事がある可能性は否定しないが、男3人寄ってたかって、全員が全員そうなるというのは、やはり不自然なイメージがある。

第二作「ぼくらの気持」は、主人公が惚れた少女が殺人犯の共犯の悪女だったという、今ならかなりステレオタイプな設定で、久々に再読した今回(内容はすっかり忘れていた)、あー、この子犯人なんだろうな、と思わせる書き方が随所にあったりして、最後まで読んで、やっぱりなあと思ってしまった。明らかに犯人であることを示しているのに、何で惚れるかねえ?という冷静な考えしか出て来なかった。年を取るって嫌だねえ。

だが、若かったころ、この設定にも嫌悪感しか感じなかった。惚れた女が犯人って、やるせなさ過ぎる。しかも悪女。同情の余地もない悪女。うわー、こういう冷徹な設定をしちゃうのも作者が女だからなんだろうな、と思っていた。

第三作「ぼくらの世界」は、エラリー・クイーンの著名な作品のトリックを応用した、ミステリファンには嬉しい設定になっていて、これだけは比較的楽しく読めた。ただ、こっちの頭が古くなってしまっていて、Yの悲劇なんて10回くらい読み直しているはずなのに、トリックの内容を覚えていないという始末。まったく、年は取りたくないもんだね。

小説の中に、その時代の風俗とか流行を取り入れてしまうと、後になって陳腐化するのだが、栗本薫の著作には割とそういう部分が多くて、今回も音楽を取り入れるくだりで、70年代の古い曲ばかりが出てきてしまい(仕方ないことだけど)、そこがダサいと感じてしまった。

いやまあ、彼女の音楽趣味って自分とは合わないので、ダサいと思ってたのは昔からなんだけれども。ダサいっていうか、こっぱずかしいっていう感じ。この本を〇〇という曲に捧げるとかさ、恥ずかしくて書けませんよそういうの。

未発表原稿の「ぼくらの事情」は、ほんの導入部だけしかなく、肩透かしを食わされたイメージもあるが、これが何故没となって第二作「ぼくらの気持」に変わっていったのか、という点については永遠の謎になってしまった。そこがちょっと残念であった。

この全集には、名探偵栗本薫が登場する、ぼくらシリーズ以外の長編作品も2作品収録してある。

「猫目石」は、その栗本探偵と、もう一人彼女が生み出した名探偵、伊集院大介の両ヒーローが登場する作品だ。

ぼくらシリーズに比べて、伊集院大介もののほうが好感度が高い本格推理小説なのであるが、この作品は視点が栗本薫になっているので、どちらかといえば「ぼくらシリーズ」に近いものになっている。しかもまた、性懲りもなく主人公は胡散臭い少女に惚れてしまって、悲劇の最期を迎えてしまうのである。筆者には多分に、自分の創作したキャラクターを虐めるのに快感を得る性格のようで、探偵の栗本君も、伊集院大介も、グインサーガの主要メンバーも、ことごとく酷い目に遭っている。まあ、40年近く栗本さんの書く主人公イジメ作品と付き合ってきたので、最近では慣れましたけどね。

トリックに重点を置いているタイプの作品ではないので、そこは大目に見るとしても、双子のトリックはちょっと卑怯かな、と思ってしまったのを思い出した。ヒントは随所に書かれているのだけれども、私は双子トリックは嫌いなので、今回も、まるで同じ感想であった。

「怒りをこめてふりかえれ」は、事実上の栗本探偵シリーズの最終作。本作だけは、主人公が酷い目に遭うのは変わりないが、ハッピーエンドになっている。こちらにも伊集院大介が登場。

内容は、マスコミに対する徹底的なバッシングになっていて面白い。筆者自ら、不倫の果てに略奪結婚みたいな事になっているので、自分自身の経験や怒りが相当反映されているように思う。まあ、これが出版された当時のいわゆる「フラッシュ、フライデー」に代表されるパパラッチ的な過激報道には、それを見ていた我々ですら、被害者に同情を禁じ得ないものであった。今の文春砲どころの騒ぎではなかったからね。その辺りの体質は、今でも全然変わっていないのかもしれない。

結果的に、この作品が一番面白くて個人的な共感も高いが、推理小説としての出来はもう一つ、という不思議な話になっている。筆者が書きたかった事は、過剰なマスコミへの批判であって、それを推理小説の体で書いたという事なのだと思う。

と、ここまで書いてきて、著者の享年が、ちょうど今の私の年齢とイコールであることに気が付いた。

生き急ぎ過ぎたのであろうなあ。もう少し色々抑えて、地道にグインサーガシリーズだけ書いていれば、こんなに早死にすることは無かったのではないかと思ってしまう。返す返すも残念でならない。

なんか文句ばっかり書いている文章になってしまったが、一番長くリアルタイムで付き合った作家のひとりなので、こればっかりは仕方ない。特に死んじゃったからね、恨みつらみを書くしかないという感じだ。

栗本さんとは、ニフティの天狼パティオで少しだけやり取りをしたことがあるんだが、あそこ、ROMってる常連さんの視線を物凄く感じるという不思議なSNSで、何だか物凄く居心地が悪くて早々に逃げ出してしまった。単なるSNSというか、掲示板なのに、他の参加者の視線を感じるという恐怖体験を味わったのは、後にも先にも天狼パティオだけであった。

だってねえ、会員制のSNSで、新人なのに、誰もチョッカイ出してこないんですよ。明らかに様子見している。その中で栗本さん(中島さんと言うべきか?)だけが、おっそろしいスピードでレスをガンガン付けてくれた。だから基本的に私と彼女の会話だけがツリーになっていて、そこに誰か絡んできても良さそうなのに全くそれがない。

それが怖かったね。なかなか面白い体験ではあったけれども。もしかしたら、そういうのがそのパティオの礼儀だったのかもしれない。ツリー主と栗本さん以外の余計な発言はしない、みたいな感じ?いや、他のツリーはそんな感じじゃなかったけどなあ。もう20年以上も前の話だ。

そんな事を思い出した。良い買い物であった。

***

電子書籍というモノについては懐疑的であったが、本書を読んでみて、手軽に複数の本を時系列的に並べて続けて読める、という新しい接し方をする事が出来、意外とこのスタイルも悪くないんじゃないだろうかと思い始めている。



 
| 【本】 | 16:52 | comments(0)
巨乳の誕生
今週は、読書週間です。今日も本の紹介をします。

***

昨年暮れに購入しておきながら、なかなか読めなかった。

読書はもっぱら、通勤電車の中なのであるが、そういう場所で広げるにはちょっと憚られるタイトルである。尤も、本文の中には突然、おっぱいの写真なんか出て来たりしないので、そういう意味では安心して読めるわけだが。

これから仕事、という段階の通勤電車の中で、巨乳に関する話を読むのも如何なものかと思ってしまった、という事もある。

だが、それは杞憂であった。

面白い。

序章が、公式ブログで公開されているので是非読んで頂きたい。

http://kyonyu.hateblo.jp/entry/2017/11/08/191424

どうです?さらに読んでみたくなったでしょう。

導入編からしてこれである。

後は、淡々と巨乳文化の歴史について書かれているのだ。エロ本ではなく、これは立派な歴史研究書と言っていい。

それは、著者の前作「痴女の誕生」で分かっていた事ではないか。前作も立派な研究論文であった。

だから、この本はエロ的興味ではなく、文化人類学的興味を以って読んで頂くのが正しい作法であろう。

だが一方で、この本を紹介するのには、少し抵抗があった。

ウチのブログの読者は、妻を筆頭にして女性が少なくない。しかもほとんど知り合いなので、「じゃんぼうさんったら、巨乳好きだったんだ」とか誤解を受けかねない本を紹介することになってしまうので、そこに抵抗があった。

まあ、男ですからね。嫌いじゃないけどね。大きすぎるのもね。

ゲフンゲフン。

そんなわけで、2カ月以上も引っ張って来てしまったのであるが、ここに来て友人知人の本が立て続けに出版されているので、それに紛れて「今週は読書週間!!」という形で、この本も紹介することにした。

読みやすく一気に読めてしまうので、その意味でも、お勧めの本である。

特筆すべきは、この本の中には画像や写真が一枚もないという事だ。

おっぱいの本なのにおっぱいの写真が無い!騙された!いや、そうではない。

「巨乳」という言葉の誕生、文化の誕生についての研究本なのである。だからこそ、画像や絵は必要ないのだった。

***

冒頭、「はじめに」を読んで困惑する。

「現在のAV業界ではGカップ以上が巨乳という事が常識」

えっ?Gカップ?何そのインフレ?!

我々が青少年だったころは、Cカップでも大きめで、巨乳というかボインはDカップという解釈であったが、今はGなのか。何だよGって、乳牛かよ。あんまりデカいのも反って色気無いんじゃないかなあ?とか思ってしまうのだが、趣味趣向なんてものはそんなもんだろう。

序章

原宿ヴィレックスには、特撮ビデオを買いに行ったことがある。プロレスビデオも売られていたのだが、当時、この手のビデオ作品は1本1万円以上する高価なものであって、おいそれと買えるものではなかった。

色々逡巡して、「キャプテンウルトラ」のビデオを買ったのであるが、アントニオ猪木の格闘技戦のビデオもちょっと気になったなあ。しかし、そこに巨乳アダルトビデオがあったという事はあまり記憶にない。当時は1万円出してアダルトビデオを買うくらいなら風俗に行く、みたいな感覚があった気がする。エイズなどの問題が出る少し前だったし、今ほど気楽にビデオ鑑賞できる環境も無かったから、無理もない事だと思う。
その前後に、いわゆるレンタルビデオ店が開業し、ビデオは1泊1000円くらいで借りることが出来た。相当なインフレ時代である。

そんな事を思い出してしまった。

そうして、ようやく第一章だ。

ここからこの本は様相を一変して、巨乳文化の歴史を掘り下げていくのである。

一番意外なのは、海外に於いても巨乳を好む歴史は浅く、100年にも満たないという点であった。確かにルネサンス期の絵画や彫刻を見ると、豊かな胸という作品は多くない。むしろ腰や腹のふくよかな肉感の中に、小ぶりな林檎のようなおっぱいが付いているという印象がある。

第二章での、おっぱいは性的対象ではなかった、という指摘も、なかなかに読ませる内容となっている。特に日本に於いて、おっぱいは乳幼児に乳を与える器官に過ぎず、性的対象ではなかった。胸は顔に繋がる体の一部でしかなく、胸を見たからと言って性的興奮を覚えない。しかるに銭湯は混浴であり、春画等でも胸に対する描写は浅く精細ではない。更に明治時代に入って、有名な黒田清輝の「腰巻事件」にまで言及するくだりには大変な説得力を感じた。

それ以降も、今まで私の持っていた乏しい常識を覆すような話が目白押しである。詳しくは是非、本書を購入して、その真面目な研究を堪能して頂きたい。

タイトルで損をしているのか得をしているのか、よくわからないけれども、女性にもおすすめしたい真面目な研究本である、と言っておこう。

そうそう、この本は電子化されているので、書店で買いにくいとかネットでも買いにくいという人は、電子書籍で買う事をお勧めしておく。ちなみに私も電子書籍で買いました。

***

最後になるが、「痴女の誕生」「巨乳の誕生」と連作になったので、是非とも次回作も「○○の誕生」として三部作で締めて頂きたいと、切に願うものである。



| 【本】 | 09:17 | comments(0)
とみさわ昭仁さん 「無限の本棚 増殖版」 発売
一昨年単行本で発売された、とみさわ昭仁さんの「無限の本棚」が文庫化された。

単行本発売からわずか2年で文庫化っていうのはどうなの?とか思ってしまう事もあるかと思うが、単行本のほうは、出版社から一円も原稿料を貰っていないという、信じられない事実があったりするそうなので、仕方ないことだと思う。

私はそれほど出版業界に詳しくはないが、原稿料遅配や異常なダンピング、無断使用など、節度のないヤクザみたいな話も度々聞いたことがある。

私ですら、ごくわずかなライター活動の中で、約束した原稿料が支払われなかったケースがあって、何度か督促してようやく支払われたみたいな感じで、そういう事が続くと、そこの仕事は受けたくないなあと思ってしまったものだ。金額が安いので、たかが数千円のために無駄な神経を使いたくないので泣き寝入り、みたいなケースが多いんだろうか?とか、妙な勘ぐりをしてしまったものだ。

特にネット文化になって、紙の書籍に寄稿する文章より、ネット文章のほうが遥かに安い原稿料だし、支払いをバックれるケースや、タダで書かされるケースなどもあるらしい。そうやって書き手を蔑ろにするから、ネットの記事などマトモなものが少なく、読んでも時間の無駄みたいな駄文が溢れかえるのであろう。

とみさわさんがこの本を書くにあたって、ほんの些細な事を私に確認してきたことがある。趣味に関しての細かい話で、なかなかネットでは出てこない情報だったので、喜んで協力させて頂いたが、そういう細かい部分でもしっかり裏を取る姿勢というものに共感を持った。

だからこそ、こうやって紹介出来るのだし、いくら友達でも、嘘八百を並び立てるような文章しか書けない人の本や記事は紹介出来ない。

それはさておき。

文庫になって、「増殖版」と謳っているだけに、幾つかの内容が追加されている。
私が書くより、ご本人のブログで紹介されているので、それをリンクしておく。

http://maneater.hateblo.jp/entry/2018/03/04/135019

http://maneater.hateblo.jp/entry/2018/03/05/090937

http://maneater.hateblo.jp/entry/2018/03/06/091804

この中では、伊集院光さんとの対談が一番、一般受けすると思うが、私が興味深いのは、

「自分よりすごいコレクターと出会ったらそのコレクションをやめてしまう」

という話で、それに関しての、3人の剛腕コレクターとの対談である。

私も、自分より凄いコレクターが居たら、そのコレクションは辞めてもいいかなあ?と思っているタイプなので、どんな話が出てくるのか興味津々というところだ。

無限の本棚の文庫版は本日発売!

単行本を買った人も買い直すべきです。単行本はブックオフに売っちゃおう。





 
| 【本】 | 09:57 | comments(0)
感染領域

ここの所、個人的な事情であまり読書をする気分になれない日々が続いていた。撮りためた映画やアニメも貯まりに貯まっていて、会社を辞めて半年くらい毎日テレビに齧りついて再生しても全部見切れないくらいにハードディスクを圧迫している。

が、それらの「不良在庫」を差し置いて、すぐにでも読みたいと思った本が出版された。

2017年第16回「このミステリーがすごい!」大賞の優秀賞「カグラ」を改題した「感染領域」である。著者のくろきすがや氏は、エラリー・クイーンや岡嶋二人同様、コンビで執筆する二人の作家のペンネームだ。

トマトが枯死してしまう謎の病原体の調査に当たる植物学者が、その調査をキッカケにして殺人事件を発端にした危機に立ち向かっていく、サスペンス小説である。
謎解き要素に重点は置かれておらず、単純にダイナミックで巨大なスケールの危機とそれを防ごうとする主人公の戦いに主眼が置かれており、肩肘張らずに読み進めることが出来た。

驚愕するのは、バイオテクノロジーに関する記述で、失礼ながらお二人ともそちらの専門家というわけではないのに、物凄い情報量と、それを描き切る力量に驚嘆せざるを得ない。
私とて、この分野は全くの門外漢なので、その内容の正確さを推し量ることは出来ないのであるが、どう考えても付け焼刃的に勉強しただけで、このプロットが思いつく道理はない。

バイオ技術の専門家が手慰みで小説を書きました、というのであれば納得できるが、全くの門外漢であるお二人が、ここまで本格的な専門用語を並べ立て、最先端の分子生物学を手玉に取ってサスペンス小説に仕上げてしまうのには、どれだけの勉強と咀嚼を行ったのであろうか。ちょっと想像できない。

私はミステリ好きだが、乱歩正史で始まり、クリスティ、クイーンらの洋物にハマってから、和久俊三の法廷物、仁木悦子、栗本薫、宮部みゆきの女流を経由して、我孫子武丸、京極夏彦、貫井徳郎で屈折し、最近は首藤瓜於と飴村行という流れ(飴村さんをミステリ枠に入れるべきかどうかは異論があるけれども)なので、正直サスペンス系は苦手である。

そんな私をしても、一気に1日で読み切ることが出来る読みやすさと、引きずり込まれる文章、展開の見事さは、これが処女作とは思えない完成度だと思う。

***

さて、ここからは自慢話である(笑) どう書いても自慢話にしかならないので、開き直ることにした(笑)


実は、くろきすがや氏の片方、主に執筆を担当された菅谷淳夫氏は、横浜ベイスターズファン繋がりの友人なのだった。だから余計にビックリしたもんだ。

「このミス大賞」に選出された知り合いは二人目である。もう一人は、第13回の隠し玉「大江戸科学捜査 八丁堀のおゆう」の作者山本巧次氏。氏は高校大学を通じて「鉄研」の先輩なのだった。高校時代から「コージさん」は部誌に小説を書いていたので、このミス大賞に選ばれたときも、「おー!」という感じだったのだが、すがやさんのほうは、正直びっくりした。文章のお仕事に就いているのは知っていたのだが、まさかこんな形でミステリ界にデビューなさるとは!

「このミス」には浅からぬ縁があるようで、13回の優秀賞「いなくなった私へ」の著者、辻堂ゆめ氏も高校の後輩のようである。ペンネームを見て、もしやと思ったら当たりであった。13回は、辻堂氏、山本氏と2名の母校出身者が同時に出たというわけだ。まー、大先輩には石原慎太郎だの江藤淳だの斎藤栄なんかが居る学校なんでね。長く生きてるとこんな事もあるというわけだ。

ネットの普及によって、思わぬ才能をお持ちの方々と交流が出来、ここ数年、その方々が着実に実績を積み上げていく姿を眺めていると、こちらも晴れがましい気持ちになる一方で、じゃあ自分はどうなんだ?と思った時に、多くの挫折感を味わったりもしている。

だが、去年は微細ながら写真と模型で実績を残せたので、それが多少の自信回復につながった。それゆえ、仲間の活躍には、今はむしろ自分へのエールとパワーをもらったような気分になっている。

自慢話おわり。

***

さて、小説の話に戻りましょうか。ちょっと文体を変えて。

以下、ちょっとネタバレっぽい部分があるので注意してください。

「このミス」応募時には「カグラ」というタイトルでしたが、この度文庫で出版される際に「感染領域」というタイトルに改題されました。「このミス」作品の改題は常套手段なのですが、今回の改題は成功と思います。サスペンスっぽい感じが良く出ているし、話にも入りやすいと思いました。
「カグラ」だと、神楽を連想しがちなので、もっと神秘的な話とかファンタジー系と思われるきらいがあると思います。

読み始めて、ああ、これは菅谷さんの文章だろうなと思わせる所が随所にあり、巻末の解説でプロット担当が那藤氏、執筆が菅谷氏という説明を読んで納得しました。書きなれているかたの文章は実に読みやすいのです。

あと、声を大にして言いたいのは、

「プログレファンは是非、この本を読みなさい!!」

という事です(笑)。そういう趣向の無い人だと、普通にスルーする数カ所で苦笑すること間違いなし!

話が壮大で、トリックは少なく、サスペンス要素が高い上に、表現力が豊かなので、これは映像化に向く題材であるとも思います。予算たっぷり使って映画化するのが良いのではないかなあ?

割とすんなり、主人公の安藤には長谷川博己、里中しほり役に石原さとみっていう名前が出て来ちゃったんですが、それじゃあ、まるっきりシン・ゴジラだ。

モモちゃんは豊川悦司かなあ?だとすると、年齢的には安藤は今をときめく豊原巧輔か堤真一か。

いや、ちょっと暴走しました。全部なしで。

映像化の際には、端役だけれど、林田のおじさんを演じる人が結構キモになるような気がします。

「2」の意味が比較的序盤で「もしかしたら?」と思っていたので、その謎解きはやっぱりねと思ったのですが、さらに上を行ったのには脱帽。アレは出てこないわー。ちょっと強引かな?とも思いましたが、医学系の人なら当たり前に出てくるのかも。そういう「後付け的な裏付け」とか「読者の勝手な深読み」で納得できるという部分も、良い本の理由と言えるでしょう。

序盤で何気なく出てくる人が重要なカギを握っているのは、ミステリの王道とも言えますね。ああ、やっぱり出てきたと思ったけどその次の設定が!色々盛ってあって面白いです。

そして一つだけ気になった点を挙げるとすれば、「ルーザー」という表現でした。
私が無知で、聞きなれていないだけの話であればよいのですが、恥ずかしながら辞書を引いてしまいました。分かってみれば、ああなるほどという話なのですが、カタカナなのが分かりにくかったかもしれません。LOSERと書いてルーザーとルビを振るか、「負け犬」とか「敗者」みたいなルビが振ってあったほうが良かったかな?割とキイワードなので、余計にそう思ってしまいました。

しかし、そんな些細な点を差し置いても、書いたのが半分友人だという事を抜きにしても、この本は傑作です。是非読んでみてください。

***

そして、もう一冊、去年から読もうとしてるハードカバーがあるんですが、内容的に、ちょっと電車の中とかでは読みにくいからなあ。何とか近々、読むようにしたいと思います。




 

| 【本】 | 13:39 | comments(2)
杉本一文「装」画集
「杉本一文」という名前を聞いて、「横溝正史」という名前がすぐに出て来るかたは、相当な横溝マニアと思います。
昭和50年ごろから、本屋さんの角川文庫の棚を占領し始めた黒い背表紙の一団。横溝正史シリーズの表紙絵を描いていたのが、杉本一文さんです。

その「表紙絵」の画集が発売されました。

杉本一文「装」画集 です。



全ページカラーグラビアという豪華版。角川文庫の「緑304」の作品群は勿論、それ以外の本や雑誌の表紙絵も含まれていて、まさに完全版と言えるでしょう。



獄門島の恐ろしくも美しい表紙絵。これが一番好きかな?

中学に入ったばかりの頃、本屋さんでこのシリーズを見つけてハマったのですが、杉本さんの絵は「怖い絵」である以上に「エロチック」なのでした。しかも、単純なエロではない。「淫靡」という単語が良く似合うのです。

第二次性徴が始まったばかりの雀坊少年には、少しばかり刺激の強い絵ばかりでした。

緑304の横溝本全99種、絵柄の違いなどを入れると120冊以上になるコレクションは、現在でも我が家のスライド本棚の1個分を占領しています(苦笑)




その、文庫サイズの淫靡で恐ろしい絵が、大判で堪能できるんです。こんなの買うに決まってるじゃないですか。


| 【本】 | 18:21 | comments(0)
電子書籍を買ってみる。

電子書籍というものには懐疑的であった。

「電子書籍を買う」というが、実質的には「読書権を買う」のであって、「書籍を自分の所有物にする」わけではない。従って、買った電子書籍を古本として売買することが出来ない。これが第一の不満。

紙媒体ではないので、飛ばし読み、流し読みみたいな事がしにくい。推理小説なんかは、何度も行きつ戻りつして読んだりするので、そういう自由度の低い電子書籍は、少し読みづらい。これが第二の不満。

電子モノっていうのはサービスを終了した時点で灰燼と化すわけだが、電子書籍も同じ事になるのだろうか、そこに対する不安が払拭出来ないうちは、手を出すべきではないと考えていた。

さらに言うと、私の主たる読書時間は電車の中なので、電子書籍を読むとしたら携帯用デバイスになるのだが、携帯用のデバイスはiPhoneSEしか持っていないので、これで電子書籍を読むのはかなり辛そうである。

専用のキンドルなどを買うほど投資はしたくないので、そうなると電車の中では読めないから、必然的に電子書籍は要らないな、という判断になっていた。

ところが最近、読みたい本が電子書籍でしか販売されない事が増えてきた。最近の傾向として、出版するにはハードルの高い書籍や、その他さまざまな理由で、電子書籍でしか出版されない本というのが一定量存在するようになってきたのである。

こうなってくると、いずれ電子書籍を買う日が来るのだろうなあと、薄ぼんやり考えていたのだが、その時期は意外と早く訪れた。

栗本薫さんという作家がいる。いや、いた。グインサーガなどのヒロイックファンタジーや、魔界水滸伝という伝奇SFなどで有名な作家であるが、8年ほど前に亡くなり、グインサーガをはじめとして幾つかの長編作品が未完で終わってしまった。

この人の作品群の中に、伊集院大介シリーズという探偵ものがあるのだが、その最後の作品が電子書籍のみで発売されるというのだ。

元々コレクター気質があり、伊集院大介シリーズは全て読んできたので、この新作だけを読み逃すわけにはいかない。幸い、先日、hontoというWeb書店のキャンペーンで、1000円分の電子書籍購入券をもらっていたので、早速これを活用して、この新作を買ってみる事にした。

hontoの場合、読むためには専用アプリが必要である。

PC用のアプリをダウンロードし、インストールして、アプリを開くと、自分の本棚に今買った本がセットアップされているので、これをクリックすると本が読めるようになった。

画面フルサイズだと大きすぎるので、適度な大きさに画面サイズを調整して読み始める。最初は抵抗があったが、読み進めるうちに気にならなくなった。

この本には4作の短編が収録されていて、そのうち3つは単行本未収録という話であったが、いずれも既読。どこで読んだんだろう(苦笑)。久々でもあったので、最初から通して読んでみる。栗本薫は、長編は上手いと思うが、短編は下手だなあと苦笑しながら読み進めることが出来た。

ところで、この本のアプリをインストールしたのは会社のパソコンである。弊社のパソコンは、社員が遊べないように色々なガードが掛かっている(例えば、DMMなどには繋がらないので艦これを会社のPCでプレイすることは出来ない)のだが、hontoには繋げられて、書籍のダウンロードも可能であった。まあ、読むのは小説とは限らないので、仕事で使う専門誌なども読めるよう配慮されているのかもしれない。

仕事の空き時間を使って半分ほど読んだのだが、これは色々と便利である。サボっているというわけではないのだが、仕事中に、本を開くことなく画面上から読むことが出来るのは、色々な部分で都合が良いのだ。

ひょっとしたら、色々使えるかもしれんなあ、と思っている。

今日はiPhoneに専用アプリを入れてみた。字が小さかったらダメだと思っていたが、表示される文字数が少ないので、読めないという事はない。ただ、当然ページ当たりの表示文字数が少ないので、最初はとても読みづらい。しかし、これも読み進めていくうちに慣れてしまった。

こうやって、段々電子書籍に慣れてしまうと、紙の本が煩わしくなってくるのだろうか。

でも、やっぱり本は紙で読みたいんだよね。

ちなみに買ったのはこの本です。

伊集院大介最後の推理

 

| 【本】 | 13:42 | comments(0)
BABEL : HIGUCHI YUKO ARTWORKS

5月頃、東京で展示会をやっていたのを見逃してしまった、ヒグチユウコさんの作品。今、京都のTOBICHIで開催していますが、流石に京都まで見に行く時間も金もなく。
ガッカリしていたら、本が出ていました。



「悪魔のクリエイター」ヒエロニムス・ボスと、「バベルの塔」のピーテル・フリューゲルの描く世界観をベースに、独自の解釈を加えた幻想的な画集です。

装丁もさることながら、金の箔押しを使った豪華な内容も素晴らしかった。この手の細かい書き込みの多い幻想的な絵って、どストライクなわけですが、オリジナルキャラクターの「ひとつめちゃん」や「ギュスターヴくん」たちがキモ可愛く、ボスやフリューゲルの作品には無い親しみやすさがあります。

初回限定版には「ひとつめちゃん」のエンボスカードが添付。

買うなら今しかない!



 

| 【本】 | 09:51 | comments(0)
「1984年のUWF」と、「証言UWF最後の真実」(その2)
今年はじめに刊行されて物議を醸した「1984年のUWF」。
そして、最近刊行された「証言UWF 最後の真実」。
この2冊を続けて読んでみました。

今日は、「証言UWF 最後の真実」です。

昨日レビューした、「1984年のUWF」への反論という事になっていますが、各関係者へのインタビューをまとめた本となっていて、誰かの著作というわけではありません。これはノンフィクション小説ではなく、インタビュー集であり、ドキュメンタリーでもあります。

1984年のUWFが佐山聡サイドに立っての語りになっているのに対し、本書では佐山以外、特に前田日明を中心としたインタビューで構成されています。

第1章から前田のインタビューになっていますが、その前田がインタビュー記事の中でケチョンケチョンに貶した宮戸優光のインタビューが載っていたり、更科四郎やターザン山本などの胡散臭い連中と、新間寿らフィクサーの証言など、立場が変わると相反するコメントが幾つも並び、なかなか混沌としていて如何にもプロレスらしい攻防が続くのが興味深いです。

前田を筆頭に、藤原喜明、山崎一夫、中野巽耀(龍雄)、宮戸優光、安生洋二、船木誠勝、鈴木みのる、田村潔司、垣原賢人と、UWFを構成してきたレスラーたちのインタビューを収録しているのは、なかなかに圧巻です。但し、ここまで纏めておきながら、何故、佐山と高田のインタビューが収録できなかったか。それが残念です。

もう少し、「1984年のUWF」に対する反論が出ているかと思えばさにあらず、割と自由に言いたい放題言わせているのが、より一層混沌として、そこが面白く感じます。ただ、更科&杉山&山本の黒幕鼎談は頂けません。当時、真面目に週刊プロレスを読んでいた我々はバカだったのか。愚弄するのもいい加減にしろと思いました。ばらして良い事と、いけない事があります。彼らは書いてはいけない事を書き、それをバラしてしまった。最悪ですね。
尤も、私はターザン山本独特の表現である「信者」とか「密航」みたいな言い方に、皮膚感覚的な嫌悪感を感じていたので、さほど彼に踊らされた感はありません。写真のせいかもしれないですが、ターザン山本がまるで別人のような姿になっていて驚きました。

10人が語れば、10人が違う事を言う。それがUWFの特殊性を物語っていますが、中でも光るインタビューは、鈴木みのるのものでした。「前田は嫌いだった。でも全員の給料を立て替えていたのも前田だった。」年齢を重ねることで柔和した面もあると思いますが、鈴木の発言から垣間見える前田の姿は不器用そのもの。初期UWF時代の不器用なレスリングに通じるものがあります。
「過去の細かい出来事はプロレス辞めたら話しますよ」という事は、「最後の真実」ではないわけですね、鈴木君。

一方、船木の発言にはまだまだ言えない事があるようなイメージを抱きました。1984年のUWF冒頭で語られた高田戦の事には全く触れていません。私なんかはあれこそが新生UWFの分岐点と思っていたくらいの試合なのですが、全く触れようとしていない。まだまだ言えない事がたくさんあるという事でしょうか。

田村潔司の発言も大変興味深いものがあります。前田に病院送りにされた田村。そこから見えるのも不器用な前田の姿です。

「A」という真実があって、それは「B」から見れば「B」にしか見えず、「C」から見れば「C」になってしまう。「B」と「C」を足せば「A」に戻るかといえば、そんなことは無く、そこに「D」が現れてしまう。そんな本になっています。予備知識があっても、真実の「A」に辿り着くのは困難でしょう。

現在では、「UWFの真実」とは「D」の事だと思われています。未だに「A」に辿り着いたマスコミは無いし、我々ファンも「D」を真実にして良いと思っている節があります。

「1984年のUWF」が書いた内容は、「A」ではありませんが、「D」でもありません。「A」が我々の前に姿を現すことは、もう無いと思われますが、いつか、佐山、前田、藤原、高田、山崎が揃った時に、第一次UWFの「A」が現れるのでしょうか?いや、「A」という真実は、やはり五人五様であり、見る者によって赤にも青にも見える多面体、という事で良いのかもしれません。

「最後の真実」と謳うのであれば、佐山、高田のインタビューも掲載すべきだと思いますし、我々古いファンとしては、木戸修やマッハ隼人の証言も聞いてみたいところです。残念ながら他界したラッシャー木村や剛竜馬へのインタビューは叶いませんが、彼らがUWFに対してどういうイメージを抱いていたかは、一度聞いてみたかった気がします。

第一次UWFから30年以上の月日が流れてもなお、大きなしこりとわだかまりが残っている事は、残念でなりませんが、それだけ当事者は全てを賭けていた、と言って良いのではないでしょうか。

私は今やプロレスには興味を持っていませんが、UWFという異色のプロレスが好きで、それを生で鑑賞出来、ひとつの時代を生身で体験出来たことは、大変良かったと思っています。


 
| 【本】 | 09:35 | comments(0)
「1984年のUWF」と、「証言UWF最後の真実」(その1)
今年はじめに刊行されて物議を醸した「1984年のUWF」。
そして、最近刊行された「証言UWF 最後の真実」。
この2冊を続けて読んでみました。

例によって、書き出したら長くなりすぎたので2回に分けます。まずは、「1984年のUWF」の話。

1984年のUWFは、プロレス本では著名な柳澤健氏の「ノンフィクション小説」。
ドキュメンタリータッチの小説であって、これは、ある一方からの視点のみで語られたUWFの話ですが、多くのプロレスファンの反感を買ってしまいました。

あまりにも佐山聡と、週刊プロレス編集長のターザン山本の視線オンリーで書かれ過ぎていて、前田視線は殆ど無し、UWFやプロレスへの愛情が感じられない、事実誤認や作為的なウソが多いという事で、検証派から徹底的にコキ下ろされた本です。

今回、改めて読んでみて、ああ、これは「ノンフィクション小説」だと思いました。ドキュメンタリーではなく、あくまでも小説です。ノンフィクション小説には、作者の思い込みが入ります。その分だけ、事実とは乖離するわけですが、作者の主義主張が一貫している必要があります。柳澤氏は、それを佐山視点に求めた、というだけの話でしょう。従って、佐山を正義としてすべてが語られて行きます。

プロレス好き、プロレスファンとしては面白くない本です。しかし、小説として見たときに、筋が通っているし、読みやすいし、細かい部分が補完されて、私はとても面白く読み進めることが出来ました。

全ては第一章で語られています。(以下、ネタバレ注意)

中井くんという少年の物語。

彼はプロレスラーになりたくて、当時流行していたUWFスタイルにヒントを得たシューティングの同好会を始めます。高校生になり、アマチュアレスリングを始めますが、壁にぶち当たり、一旦はプロレスラーになる夢を諦めます。
北海道大学に入り、七帝柔道に憧れ柔道部に入部し、頭角を現していくのですが、この頃、新日本との提携が切れたUWFが第二次UWFとして旗揚げします。

8月13日の興行で行われた、高田延彦対船木優治戦。
開始早々、船木の掌打が見事に決まり、高田はノックダウン。
しかし、レフェリーは船木の勝ちを宣言しません。
モヤモヤと怒号の中で試合は再開され、高田が船木をキャメルクラッチでギブアップに取り、勝利を得ます。

その時、格闘技を学んでいた中井くんは、UWFも所詮、プロレスに過ぎないという事に気づいてしまうのです。そして、プロレスへの思いを断ち切ることになりました。

中井祐樹。スーパータイガージムへ入門し、ジェラルド・ゴルドーやヒクソン・グレイシーなどとも対戦し、日本修斗協会会長になった男です。

この試合は、私にとっても重要な一戦でした。

今でこそ、UWFはプロレスだったと、したり顔で言うプロレスファンが多いのですが、少なくとも佐山主導でシューティングルールが作られ、実践されていた第一次UWFの時、そのような思いを持ってUWFを観戦していた客はいなかったはずです。
私も例に漏れず第一次UWFに熱中し、足しげく後楽園ホールに通ったクチです。その試合中、観客は熱狂し、関節技が決まると、興奮して「折れ!折れ!」などの非常に危険極まりない声援が飛んだ、殺伐とした会場でした。

それは、プロレスなんて八百長、勝敗は最初から決まってる、インチキなどと蔑まされていたプロレスファンの前に提示された、ホンモノの格闘技でした。そこに八百長や暗黙の了解を感じていた人は一人もいなかったはずです。

テレビ局が付かず、佐山と他のメンバーとの確執などもあって、第一次UWFはわずか2年で崩壊し、残党は新日本プロレスに合流します。しかし、そこでもUWFスタイルを貫き、猪木−藤原戦、前田−ニールセン戦、前田−アンドレ戦など数々の名勝負、遺恨試合を生み、前田は新格闘王の名を得ます。そして、対長州戦でのアクシデントから袂を分かち、新生UWFを旗揚げするに至りました。

この時期まで、UWF信者(ファンではなく信者と呼ばれた。ターザン山本お得意の言葉の翻弄)は、UWFこそ真の格闘技。UWFはプロレスではないと思い込んでいたと思います。

そして、その新生UWFが軌道に乗りかけたとき、前述の高田VS船木戦が行われたのでした。

誰が見てもプロレス。あれでUWFに愛想を尽かした人も多かったと思います。試合終了後、うずくまる船木に前田が諭すように声を掛けているシーンが印象的でした。その後、船木は前田と袂を分かち、藤原組からパンクラス結成という流れになっていくわけです。

当時の私は、流石にUWFが全くプロレスではないとは思っていませんでしたが、流石にあの試合だけは幻滅でした。あそこで船木が勝ってこそのUWFじゃあないのか。例えそれがアクシデントだったとしても、船木に勝たせるべきでした。あの試合から、徐々に不協和音が鳴り出したように思います。

本の話に戻りましょう。柳澤本は、さらにUWFの一面について、ダッチ・マンテルの証言などを引き合いに出して、前田をコキ下ろしていきます。このくだりは、前田ファンには面白くない本だろうなあ、と思います。

ただ、リアルタイムで前田を見てきた私には良く分かります。IWGP参加で凱旋帰国してきた当時の前田は弱かった。やられ役でした。良い体格なのに決められない。まあ、そういうシナリオがあったという事なんですが、負け方がちょっと頂けない。もう少し何とかならんのか、という思いがありました。

UWF旗揚げのダッチ・マンテル戦も生で見たわけですが、前田は試合運びが下手でしたね。だからヤジも多かったです。まだまだメインを張れるレベルではありませんでした。最後のニールキックは間違って顎に入っちゃったという感じです。だからこそ、高田VS船木戦で、前田はアクシデントでの勝利を許さなかったのです。自分が犯した間違いを、弟子にさせてはいけないという思いでしょう。

しかし、それは間違っていたのです。あそこでダッチ・マンテルを見事に破ったニールキックこそ、我々が求め、育てた新しいプロレスの姿の嚆矢だったわけですから。

それ以後、佐山主導でUWF公式ルールが出来るまでのUWFは、手探りの中途半端な試合が多く行われました。主として絡み合っていなかったのはザ・タイガーとして復帰した佐山聡。UWF無限大記念日2日目の、マッハ隼人(今のマッハ速人という人は全くの別人)との試合は、全くかみ合わない二つのスタイルが同居する不思議な試合でした。

今見返すと、単純なプロレスですが、佐山が半分くらい受けていないので、非常に中途半端な技が多発しています。こんなの見せられたら面白くないと思っちゃうよね。ただ、中途半端なので物凄く危険な技になっているのが、今見ると良く分かります。これは恐ろしくエグい試合でした。
でも、この試合の功労者は間違いなくマッハ隼人です。まだ関節技の勉強はしていないと思いますが、序盤で、自ら関節を取りに行くシーンもあったりします。
そして容赦ない佐山の蹴りがマッハの頭を襲う。あの、頭部への蹴りも危険な技でした。しかし、それの返礼が、トぺ・スイシーダ(リング上からリング下の選手に向かってダイビング頭突きを行う技)っていうのが、マッハさんの意地を感じました。どんだけ頭固く出来てるの?

最後はジャーマンスープレックスからタイガースープレックスで佐山の勝ちでしたが、負けたマッハさんの底力を感じる試合でもありました。会場では、その雰囲気が分からずヤジを飛ばしたり、技が綺麗に決まらないので、中だるみみたいな感じになっていましたね。正直、私も生で見ていたときはつまらない試合だと思いました。しかし、これが、第一次UWFの初期に良く見られた景色です。

今、見直しても、かなりショッパイ試合です。ただ、あの試合が起点になって、UWFスタイルが始まったと思うと、感慨深い試合でもあります。

今でもニコニコ動画で閲覧できますので、興味のあるかたは是非。

UWFは、その後佐山主導のシューティングスタイルを貫きはじめ、そこについていけないラッシャー木村、剛竜馬が離脱しますが、マッハ隼人は一人だけ残り、藤原や高田に関節技を教わり、UWF戦士として戦う道を選びます。

ルチャリブレしか出来ないレスラーが、30歳を過ぎて貪欲に関節技をマスターしようとしつつも、自分の矜持であるマスクは最後まで脱ぎませんでした。そして、限界を感じて引退。

引退試合はタッグマッチでした。タイガーとタッグを組んだマッハさんは、タイガーが相手をフルネルソンに捉えた胸元にドロップキックを決めます。既にロープに飛ばない、関節を決めるUWFスタイルが定着していた中での、佐山の粋な計らいだったと思います。

マッハ隼人は、実力としては大したことのないレスラーでしたが、その精神はUWFの中でもトップクラスの逸材でした。今でも第一次UWFで一番好きだったレスラーは?と聞かれたら、マッハ隼人を挙げます。

だいぶ話がズレました。本の話に戻りましょう。

佐山の作ったシューティングルールでは、関節技の応酬が膠着状態となってしまい、見ている観客には全然盛り上がらないものになってしまいます。そこで藤原が一計を案じました。プロレスの要素を交えていくと。ここに、プロレスでも格闘技でもない、UWFという新しいレスリングが生まれるのです。

あの当時、真剣勝負だと思っていたことが次々と暴露されていくところは、正直読むに堪えませんでした。俺らの感動は何だったの?しかし、冷静に分析されてしまうと、なるほどと思わざるを得ません。この本が、あと20年早く出ていたら大問題だったでしょう。今だから書けることなのだと思います。(注:この本以前にも語られている話なのかもしれませんが、プロレスとは無縁の20年を過ごしてきているので、この20年間に暴露されたことは全く知りません)

UWF存続のために暗躍したのが、当時週刊プロレス誌で、当時人気だった漫画家さんの絵によく似た絵のマンガを描いていた更科四郎という漫画家(あまりにも某氏の絵に似ていたので、本職の漫画家とは思わなかった)だったという事も、この本で改めて知る事になりました。

更科四郎が暗躍し、ターザン山本が誌面で煽ることで、UWFは解散の危機を回避したのです。ターザンが異常にUWFを推していたのには、当時から不可解な感じを持っていましたが、色々な裏があったようです。しかし、更科四郎って何者?

更科を筆頭に、前田の「兄貴分」の田中正悟、ターザン山本、骨法の堀辺、佐山のマネージャーだったショウジ・コンチャなど、レスラー以外の実に胡散臭い奴らが密集して、UWFという団体が出来上がったのです。

UWFに、ある種の幻想を抱いていた我々の夢を打ち砕いた本、という意味では確かに批判されるべき本かもしれません。ただ、今読んでみると、佐山に寄り過ぎている嫌いはあるものの、プロレスマニアがこぞって批判するような出来では無いと思いました。

プロレスには多面性があるので、ある一方から切り取ってみれば、こういう見かたも出来るだろうという本です。これに反論するのならば、そういう本を書けばよいだけの話です。

<つづく>


 
| 【本】 | 10:04 | comments(0)
間違ったサブカルで『マウンティング』してくるすべてのクズどもに

この本の著者のロマン優光という人の事は、名前は聞いた事があるのだが、どんな人だか全然知らなかった。私の友人の中にはサブカル界隈のかたが多いので、おそらく友達の友達くらいの距離にいるかたなのだと思うのだけれど、全く面識はない。

掟ポルシェ氏と共にロマンポルシェというバンドでディレイを担当しているという、何だか良く分からないミュージシャンの人のようである。ディレイ担当って何だ?ブライアン・イーノか?

掟ポルシェ氏は盟友の映画バカさんの自主製作映画に出演していたりするし、私の周囲でも良く耳にする名前なので、その特異なキャラクターとともに印象深いのであるが、ロマン優光氏については全くノーチェックであった。たまたま先日、マニタ書房の開店5周年記念にお邪魔した際に、来店していた方々の会話の中で「ロマン優光」の名前が出てきて、へえと思ったくらいである。

ロマン優光という字面から見ると、新宿末廣亭の昼の部の早い時間に、今時誰も驚かないような新聞紙の手品とかステッキが花になっちゃうやつとかを、つまらなそうに演じているピン芸人というイメージがあって、見た目も七三に分けてポマードをこってり塗った頭に丸眼鏡、カイゼル髭に上から下まで真っ白の燕尾服という出で立ちを連想してしまう。

ところで、偉そうなことを書いているのだけれど、私はごく普通のサラリーマンであって、たまたまコレクター仲間に、とみさわ昭仁さんとか映画バカさんのようなかたが居たおかげで、サブカル界隈の方々とも交流をするようになったのだが、基本的には飲み会でご一緒させて頂く飲み仲間の域を出ないので、え?あのひとが漫画家の○○さんだったの?!なんていうのを後で気が付いたりして、冷や汗をかくことが度々ある。一緒に楽しく飲むのが主題なので、その人がどんな職業なのかとか、まるで興味ないしね。

最近は、なかなか人の名前が覚えられないので、もしかしたらどっかの飲み会とかでお会いしていたかもしれないと思って、これを機会にロマンポルシェのPVを見て、ようやくロマン優光氏の外見を見たのだが、前述の冴えない手品師の印象は全くない小太りのオッサンであった。実際に、お会いしたことはないと思う。

wikiなどを読むとロマン優光の優光は、UWFの宮戸優光から取ったらしいのだが、中野でも安生でもなく宮戸っていうのが、とっても胡散臭くていいよね。

で、この本。

なかなか兆発的でヤバい感じのする本だが、内容はタイトルほど過激ではなかった。中森明夫と岡田斗司夫についてはクソ味噌に貶していたが、あとはそうでもないという印象。

私はどうもこのあたりの人たちの情報に疎くて、中森明夫の「おたくの研究」も話には聞いていたが、どんな内容のことが書いてあったかは、この本を読んで知ったくらいである。こりゃあ酷いね。ある友人が、「おたく」という言葉に今でも抵抗があるのは、「おたくの研究」の悪い影響と言っていたのを思い出した。我々世代の人間にとって「おたく」とは差別用語なのであるが、その代表的なものが中森の「おたくの研究」と言っていいのだろう。

岡田斗司夫はオタクとサブカルの分断に力を注いだらしいが、確かに一部のオタクと一部のサブカルは仲が悪いらしい。らしいというのは、話に聴くだけで実際そういう諍いを目にしたことが無いからなのだが、そのあたりも意識的に工作されてきた事なのだろうなあ。

まあ、その辺の、私の嫌いな人をバッサリ切っている所は確かに痛快で、それ以外にもロマン氏が気に入らないとしているサブカル周辺の有名人は、ことごとく私も気に入らなかったりしたので、その意味ではロマン氏に物凄い共感を抱いた。

唯一の違和感は「みうらじゅんはサブカルではない」としている部分なのだが、私のようなサブカル素人には、みうらじゅんこそサブカルの代表みたいなイメージがあるので、何を言っているのかさっぱり理解出来なかった。このように、サブカルというのは少しズレただけで、まったく話が通じなくなるんだなあ、という事は十分に理解できたので、おそらく100人いれば100通りのサブカルがあるという事なんだろう。それはとても面倒くさいことだ。

ところで、私は明らかに「オタク」気質のほうに分類されるわけだが、「サブカル」というのがどうにも定義出来なくて困っていた。色々な人によって色々な分類があり解釈があるのが「サブカル」らしいんだけど、この著書にある「町山智浩が作ってきたものとその周辺にあるもの」という定義はとても分かりやすかった。

この本にも書いてあるけれども、町山智浩氏の来歴というのはまさにサブカルチャーを地で行っていたんだなあ、というくらい色々なサブカル的なモノに首を突っ込んでいる印象があるんだが、一つも著書を読んでいない私は、最初に町山智浩氏と町田康(町蔵)氏を混同していたという事を告白しなければならない。ま、私のサブカル知識なんてそんなもんです。

その町山智浩に対しても、それなりに苦言を呈しているのだが、愛情が溢れていて、中森や岡田を貶すのとは明らかに一味も二味も違う文章になっているのが微笑ましくもある。が、それが行き過ぎて水道橋博士へのバッシングが多少きつめになっているような気がする点が残念だった。いい年こいたオッサン同士なんだから、片方だけを悪者にするのはね。いや、私も水道橋博士はかなり苦手なんで、内容には同意するけれども。

この本を読んで、サブカルというものの問題点が、かなり明らかになった。モヤモヤとしていた部分が随分晴れたように思う。しかし、それはロマン優光の眼を通してのサブカル論なので、別の人のサブカル論で気に入ったものがあれば、また印象が変わるのかもしれない。

しかし、幾つかのサブカル論を読んできて、ここまで私の感覚に近く、ある程度納得出来、同感出来る文章は初めて読んだ。大抵、根本的な部分で違和感があったりするんだよね。そういうモヤモヤ感が一切なかったという意味では、たぶん私の立ち位置はかなり著者に近いところに居るという事なのだろう。

これを機会に、私とサブカルについて少し考えてみたいなどと思っているのだが、twitterなどでサブカル方面の方々のツイートを読んでいると、いつもケンカばかりしていて剣呑な印象を受けたので、サブカルには近寄らないほうが良いだろうか。

とりあえず、岡田あーみんという人のマンガが面白そうなので、これだけは読んでみることにしよう。

間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに (コア新書)
ロマン 優光
4864369836

| 【本】 | 12:59 | comments(0)
| 1/7PAGES | >>


ご意見、ご要望は、こちらまで




雀坊堂関連サイト - ゆきうぇぶ


コレクションとカメラの雀坊堂