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輪島大士とわたくし
昭和の名横綱の一人、輪島大士さんが亡くなった。70歳。

輪島と言えば、先代貴ノ花とともに「貴輪時代」、北の湖とともに「輪湖時代」を築いた名横綱である。

横綱時代は「黄金の左」で一世を風靡したが、北の湖の成長によって、天下は比較的短かったように思う。76年〜77年がピークで、輪島か北の湖しか優勝していなかったような記憶がある。しかも千秋楽対決や優勝決定戦で決まるケースが多く、まさにがっぷり四つの横綱相撲を見せてくれていたものだった。

この頃、親戚の叔母さんの旦那が輪島の愛車であるリンカーン・コンチネンタルの専属ドライバーをしていたそうで、「今度輪島のサイン手形を貰ってあげるね」と言われて期待していたのだが、その直後くらいに離婚してしまったので、約束は果たせていない。

北の湖が圧倒的な強さで君臨していたのに対し、輪島は78年以降、急速に衰えが目立つようになり、81年に引退。その後は花籠部屋を継ぐが、名跡を担保に借金をしていたのがバレて廃業となってしまった。金遣いが荒いという話も聞いたことがあった。

その借金返済のためか、何と馬場の全日本プロレスからプロレスラーとして再デビューを果たす。
当時の週刊プロレスなどのマスコミから激しくバッシングを浴びたりしていたが、我が家では比較的好印象で輪島の姿を見ていた。

極端なガニマタの上に、上半身棒立ちで、お尻がチョンと突き出ており、そこに力士時代の黄金色に染めたリングパンツを穿いている姿が、オムツをしているように見えてしまい、それ故に我が家では「パンパースちゃん」と呼ばれて親しまれていたのだった。

全日本ではリック・フレアーのNWA戦に挑戦したりしていたが、何といっても天龍源一郎との闘いが記憶に残っている。大相撲出身者同士として、天龍には期するものがあったのだろう。輪島の、相撲が抜けないレスリングスタイルを見ていて、天龍がまだブレイクせず、相撲のつっぱりなどを出してダサいプロレスをしていた頃を思い出したのだろうか、輪島には容赦ない蹴りを浴びせ続けていた。そして、それを受ける輪島の凄みも充分に感じることが出来た。

レスラーとしては二流であったが、天龍戦だけは相撲取りの強さや怖さみたいなものが垣間見られた。
相撲の喉輪落としをプロレス技として使い、ゴールデンアームボンバーなどと称していたのだが、形が決まらないし、相手を倒した後の攻めが続かず、結局は相撲が抜けきらなかった。そこがプロレスラーとしては大成しなかった理由ではないだろうか。

結局2年でプロレスを引退し、その後タレント活動などもしていたが、アメフトの総監督に就任してからは地味な活動をしていたようである。

数年前に喉頭がんを発症し、そのせいで声が出せなくなっていたようだ。
北の湖が亡くなった時も、書面でのコメントのみであった。

この日記を書くのに過去の数字を紐解いてみたが、何と北の湖には勝ち越ししてるんだなあ!
対戦数10戦以上で負け越しているのは北の富士のみ。この数字だけを見ても、如何に凄い横綱であったかが分かるというものだ。


 
| 【訃報】 | 12:25 | comments(0)
浦野光さんとわたくし
声優、ナレーターとして活躍された浦野光さんが5月に亡くなっていた事が分かった。享年86歳。

僕ら世代には、石坂浩二を継いでウルトラマンのナレーターをしていた人。初期の石坂浩二さんのナレーションは、いわゆるAタイプの頃のウルトラマンで、中盤から浦野さんが引き継いでいた。
浦野さんは、その後、ウルトラセブン、ミラーマン、ジャンボーグAでもナレーターを務めた。
ペロリンガ星人の声も浦野さんだったな。

ちょっとペーソスのあるナレーションで、親しみがあった。我々視聴者に語り掛けてくるようなナレーションもあったりして、少し鼻声なところも印象的であった。

アニメではポパイの声を担当されていたそうだが、浦野さんだとは気づかなかった。今聴きなおしてみると、確かに浦野さんの声だなあ。全然気づかなかったよ。

吹き替えでは、ロバート・ミッチャム、ジェームス・スチュアートを演じたが、何といっても「世界の料理ショー」のグラハム・カーが代表作だろう。

飄々としたカーの演技にピッタリの声であった。そうだろ?スティーブ。

しかし、契約の関係なのか、後半、グラハム・カーの声は浦野さんから大野しげひさを経て黒沢良に変わってしまった。最初に聴いた声だから、というのもあるが、やっぱり浦野さんのグラハム・カーが一番だと思う。

以前も書いたと思うが、日曜の朝、「世界の料理ショー」を見るのが楽しみだった。それと、「野生の王国」。こちらは今で言う、ディスカバリーチャンネルのアニマルプラネットみたいな番組だったのだが、ナレーターが高島忠夫一家だった。高島夫妻と二人の息子が野生動物の生態を見ながら感想を言い合う感じ。

ところが、wikiを読んでみると「野生の王国」の最初のナレーターは浦野光さんで、その後、八木治郎アナウンサーが引き継いだことになっている。それって、TBSで、クイズ・タイムショックの後に木曜7時半からやってたほうの番組だよな。そっちの番組は浦野さんより八木アナウンサーのイメージが強い。
12チャンネルのあれは違う番組名だったかもしれない。wikiなどにも載っていないんだけれど、なんて言う番組だったかなあ?

閑話休題。

浦野さんは、アフタヌーンショーとかで、生コマーシャルもやっていたそうだ。残念ながらそれは見ていない。

喪に服すには少し遅いけれど、週末はゴージャスな世界の料理ショーでも見直す事にしようかな。


| 【訃報】 | 12:05 | comments(0)
星野仙一とわたくし
プロ野球、中日ドラゴンズで活躍し、引退後、中日、阪神、楽天の監督を歴任した星野仙一氏が亡くなった。70歳。

星野さんはずーっと敵だったので、正直そんなに思い入れはない。というか、どっちかと言えば嫌いな人であった。

闘志むき出しで巨人と戦う姿は敵ながら天晴れと思う事もあったけれど、精神論的な野球スタイルには、ちょっと反発を感じた。その最たるものが、日本シリーズ最終戦で田中マー君に投げさせたアレ。
もう、大リーグに行くんだし、24連勝もしたし、前日160球を投げて完投勝利しているのに、最後に出すか?肩壊すんじゃない?
確かに、ドラマ的には最高のお膳立てとは思ったが、そういう事を平気でやっちゃうのが星野という人であった。

同じ日本シリーズで8回までノーヒットノーランだった山井をあっさりと降板させた落合との差を感じたものだった。あの時監督が星野だったら、絶対9回も山井だったと思う。

現役時代に話を戻すと、巨人のV10を阻止して胴上げ投手になったりして、さすがは持ってる男、というイメージであったが、ピッチング自体は気迫先行で、そんなに凄い投手とは思わなかった。イメージ的には東尾なんかとダブる、典型的昭和型投手であった。

大洋の平松と並んで巨人キラーであったが、奇しくも岡山県出身の先輩後輩である。現役時代は孤高の人の印象があったけれど、田淵、山本浩二と同学年で、引退後は非常に仲が良い感じだったのがちょっと意外な気もした。

巨人戦で燃え尽きてしまい、その次の日に大洋と対戦したときに、ヘロヘロ球が多くて結構打ち勝った記憶がある(笑)
当時は先発、リリーフと何でもこなした時代で、通算成績も150勝に達してない(146勝)ので、成績だけを見ると中堅選手であるが、大投手のイメージがあるのは、肝心な所で登板して勝つという星回りを持っていたからだろう。

現役時代より監督のほうが長くて、2度目の中日監督であった98年、わが横浜との優勝争いは、敵ながら素晴らしかったと思う。権藤横浜対星野中日の戦いは、そのまま元中日エース同士での対決でもあった。98年はわが横浜に軍配が上がり、大いに留飲を下げたものであったが、その翌年、きっちりお返しをして優勝するなど、さすが星野という感じもあった。

監督を経験した3チームすべてで優勝を経験しているのは素晴らしいが、日本一になったのは2013年の楽天だけであった。

オリンピック監督にもなったけれど、結果はパッとしなかったね。

喧嘩っ早いイメージがあるけれども、現役時代に退場経験はない。全て監督になってからであった。そのあたりも、熱血漢ながら良い意味で計算高い人だったと思う。

また昭和の名選手が亡くなってしまった。寂しくなります。

 
| 【訃報】 | 10:19 | comments(2)
あべしろう!!
あんまり続けて訃報ネタは書きたくないんですが、また一人昭和の代名詞みたいな人が亡くなってしまいました。

阿部四郎。享年76歳。

全日本女子プロレスの悪役レフェリーです。

レフェリーなのに悪役!
極悪同盟のフォールは高速3カウントなのに、ベビーフェースのフォールはカウントすらしない!!
反則見逃し放題どころか、凶器を極悪同盟のレスラーに渡してたりする!!
全国の女子中学生の皆さんの仇敵!!

あまりにヒートアップしたファンが自宅に空気銃を撃ち込んだなど、日本中を敵に回していた悪役レフェリーであります。

実は、全くのノーギャラでレフェリーをやっていたとの事。あれが全部道楽だったなんて!!

この人と、アナウンサーの志生野温夫さんは女子プロレス中継に欠かせない人物でしたねえ。

志生野さんのほうは、まだご存命のようです。長生きして欲しいな。
| 【訃報】 | 14:26 | comments(0)
歌奴ちゃんとわたくし
三遊亭圓歌師匠が亡くなった。享年88歳。

僕らの世代には圓歌というより歌奴。「うたやっこちゃん」である。
が、今調べてみたら圓歌襲名は1970年だった。わたし、9歳である。

当時、歌奴が圓歌になると聞いて、奇妙な感じがしたのを覚えている。名跡を継ぐという事の意味が良く分かっていなかったのだ。

圓歌になってから、テレビ出演を控え高座に専念した。とにかく圓歌師匠の落語は捧腹絶倒であった。知ってる話でも、何度聞いても面白い。寄席で腹がよじれるほど笑う事は滅多にないが、圓歌師匠の落語は心底笑えたのだ。
新作も得意で、代表作と言えるのが「授業中」「浪曲社長」「中澤家の人々」など。

歌奴時代はテレビにも良く出ていた。寄席番組は勿論、実写版「悪魔くん」では悪魔くんの父親役を演じたりしていた。
落語家になる前は、新大久保駅の駅員だったそうだ。それをネタにした「まくら」も多かった。親近感を覚えたのはそのへんだったかもしれない。

もう一度聴きたいのは「中澤家の人々」であるが、代表作「授業中」も好きだった。

山のあなたの空遠く
幸い住むと人のいう
ああ我人ととめゆきて
涙さしぐみ帰りきぬ
山のあなたの空遠く
幸い住むと人のいう

カール・ブッセの詩である。こんなのが落語になってしまうのだ。
落ちも含めて、この落語を笑うには教養が必要なのだ。

しかし、この落語を何回か聞けば、この詩は覚えてしまう。再会したのは中学になってからだっただろうか。いきなり空で暗唱出来た。今でもすらすらと出てくるのだ。歌奴偉大なり。
新ロマン派だが、本国ドイツでは無名に近いカール・ブッセが日本で有名になったのは、まさに歌奴の落語のおかげと言ってよい。当時の日本人ではカール・ブッセという名前は知らなくても、「山のあなた」を知らない人のほうが少ないくらいだろう。

勿論、小学生にはそんな事は分らない。「山のあなあなあな」と吃る所で大笑い。
広沢虎造の浪曲っぽい節回しで大笑い。圓歌師匠は少しダミ声で、浪曲も巧かった。

落ちの「国定教科書」のくだりは子供には分らないが、大人が笑っているので釣られて笑う。だがそれでいい。

圓歌師匠は吃音者だったそうである。山のあなあなも、浪曲社長も、それをネタにしていた。

圓歌師匠のネタを他の落語家が演じても、ちっとも面白くならないだろう。ネタ自体に、そんなに力があるわけでもない。オチも難しい。だが、それを圓歌師匠が演じると爆発的に面白いのだった。稀代の名真打であった。
| 【訃報】 | 10:24 | comments(0)
追悼、ジョン・ウエットン。

気の利いた事でも書こうと思いましたが、思いのほかショックで、昨日は何も書けませんでした。
闘病生活だったのは知っていたので、驚きは少なかったのですが。

これで、1年間でプログレの名ベーシストが一気に3人亡くなりました。まあ、そういう世代になってきたのだとはいえ、少し早すぎる気がします。

結局、だらだらと思い出語りをするだけになってしまいました。お暇なかただけ読んで頂ければと思います。

***

ジョン・ウエットンを知ったのはユーライア・ヒープ時代という変わった出会いでした。本格的に洋楽を聴き出した頃とダブってるんですね。キング・クリムゾンの解散報道と、ジョンのユーライア・ヒープ加入が雑誌(多分ミュージックライフ)にちょこっと書いてあって、へえ、と思ったもんです。

ユーライア・ヒープは「対自核」を聴いていましたが、ジョン加入後に発表された「幻想への回帰」がイマイチで、歌も歌っていないし、そのまま忘れてしまいました。

77年、ブライアン・フェリーがソロで来日したとき、ベースに抜擢されていたのがジョン・ウエットンとの久々の出会いでした。このライブには行けなかったのですが、NHKのヤング・ミュージックショーでスタジオライブが放送され、その時動いているジョンを始めて見たのです。(メル・コリンズもいました)

カッコ良かったですね。いや、それ以外言葉がないのです。とにかくカッコ良かった。
すらっとした肢体に、長い巻き毛。アゴは割れてるけど精悍な顔です。そしてベースをブリブリと歪ませ、深みと伸びのある声で歌う(この時は歌いませんでしたけど)。これをカッコいいと言わずして何をカッコいいと言えばいいのか。

ボーカルと作曲能力を評価される事が多いですが、ベースラインも独特のものがあります。指引きとピックを使い分けるベーシストは珍しいでしょう。ピックはサムだと思いますが、指を叩きつけるようにして弾き、音にパンチを与えています。エイジア時代以降はピッキングのみで、大人しいフレーズに終始しているのがちょっと残念ですね。

さて、ジョンはソロ活動の後、UKというバンドを結成します。当初は4人編成でしたが、ギターとドラムが抜け、新しいドラマーのテリー・ボジオを入れてベース、キーボード、ドラムのEL&Pスタイルになり、79年に来日。そのコンサートで、初めて生でジョンを見ることが出来たのです。

代名詞?的フレーズとなった「キミタチ、サイコだよ!」のMCの入ったライブアルバムは、確か当初日本のみの発売でした。これもカッコ良かったねえ。ジョン・ウエットン、エディ・ジョブソン、テリー・ボジオという美青年トリオのUKは、男子のみならず女子にも大人気でした。
プログレのライブで、女子の嬌声が聞こえるものは珍しかったと思います。チープ・トリックかよ!と思うような嬌声。特にエディ・ジョブソンの人気が凄かったですね。王子様っぽいし、ロックでは珍しいヴァイオリニストですし。ストレートの長髪を振り乱して透明なボディのエレクトリック・バイオリンとキーボードを交互に演奏する姿は凄かったのです。あんなの見たら女子は卒倒しちゃうよね。それに嫉妬したジョンとの間に軋轢が生じて、UKはあっけなく解散してしまいました。
現在、エディが見る影もないハゲオヤジになってしまっているのは、あの時嫉妬していたジョンの呪いではないかと思っています。

そして1982年、ジョン・ウエットン、スティーブ・ハウ、ジェフ・ダウンズ、カール・パーマーというプログレビッグネームが集まって、エイジアが誕生。音はいわゆる産業ロックといわれる音でしたが、個人的にはUK後期の延長と思います。明らかにジョン主導のバンドでした。

83年には来日を果たしますが、なんと直前にジョンが解雇。理由はアルコール中毒とされていました。この解雇は未だに良く分かりません。代役はグレッグ・レイクでしたが、本当に代役で、すぐにジョンが復帰してしまいます。日本に来たくなかったために嘘をついたんじゃないか?などというまことしやかな噂も流れたりしました。(ジョンは日本人の奥さん?彼女が居たときもありますので、それは無いと思うのですが)

その後、ハウ爺(まだ爺じゃなかったけどw)が抜け、結局エイジアは解散。どうもジョン・ウエットンの参加するバンドは長続きしないようです。

それからしばらく名前を聞かなかったのですが、スティーブ・ハケットのライブに参加するなど、徐々に名前を聞くようになり、2006年、突如オリジナルメンバーで再結成し来日。この時のライブは見に行きました。みんな元気そうで、良くまとまったライブになっていたと思います。個人的にはジョンよりカール・パーマーとハウ爺(この時はもう爺でしたw)見たさのライブでしたが。

その後、UKを再結成し、何度か来日もしていますが、それとは縁が無く、結局最後に見たのは2006年のエイジアという事になります。

2006年のライブ後に、心臓疾患が見つかり手術した、などの情報がありましたので、健康的な問題を抱えていたのは知っていましたが、それにしても早い死です。残念でなりません。

追悼のアルバムは、色々悩みましたが、やっぱりUKのライブになりました。今でも精悍なジョンの姿が目に浮かびます。



 

| 【訃報】 | 14:03 | comments(2)
グレッグ・レイクとわたくし

元キング・クリムゾン、EL&Pで活躍したグレッグ・レイク氏が亡くなった。69歳。
長らく癌で闘病していたのだという。

一時的ではあるが、バンドをやっていたときベースとボーカルを担当していたので、歌うベースマンには憧れと尊敬の念が絶えない。

レイク氏といえば、私がロックを聴き出したころには、EL&Pは活動休止中であった。恐怖の頭脳改革以降、音沙汰がなく、キース・エマーソンのピアノ・ソロアルバムが制作されているというような噂しかなかった。

だから、我々にとってのグレッグ・レイクは、レコードと、雑誌の古い記事でしか出会えない、生ける伝説みたいな存在であった。

キング・クリムゾン時代の、超美少年な写真で、周囲のロック女子にはかなり評判の高い人であった。声も良いしね。

今思うと、「兆し」はEL&Pの頃から既にあった。EL&P時代の写真などを見ると、少し太ったかな?という印象を受ける。クリムゾン時代の超美少年な感じは、少し影を潜めていた。年齢が関係しているのかな?と、当時はボンヤリと思っていた。

高校に入ってすぐ、「EL&P四部作」というタイトルの2枚組のアルバムが発表される。事実上、3人のソロ+EL&Pの曲という4面構成であった。
ソロを始めると解散が近いという。それを予感させるようなアルバムで、各パートに共通性は低い。
が、EL&Pサイドの「庶民のファンファーレ」が、バンドとして最大のヒット曲になったというのは皮肉な話だ。ちなみに、高校1年生に2枚組のアルバムはハードルが高く、大学生になるまで買えなかったアルバムである。

その後、同年に「作品第二番」が出るが、これも寄せ集め感が強かった。

そして運命の1978年。時代はパンクロック全盛。AORやウエストコーストサウンドなどの台頭で、プログレは、古い音楽とされ、人気は凋落傾向にあった。

ブリティッシュ・ハードロック系では、レインボウが「バビロンの城門」を発表し、来日公演などもあって人気の絶頂期にあった。

ザ・フーはアルバム「WHO ARE YOU?」で復活の狼煙を上げた直後に、キース・ムーンの死という悲劇を迎える。

長い曲を中心として、プログレの代名詞的なバンドでもあったイエスが日和り、ポップな小曲を中心として時代に寄り添ったと揶揄された「トーマト」が発表される。

ピンク・フロイドも、デビッド・ギルモアのソロが発表されるなど、なかなかキナ臭い雰囲気が漂っていた。

プログレ枠では唯一、気を吐いていたのがUKであったが、アラン・ホールズワースの解雇とビル・ブルーフォードの脱退で先行きが危ぶまれていた。

そして、ピーター・ガブリエルに続いて、スティーブ・ハケットも脱退し、危機的状況にあったジェネシスは、「そして3人が残った」という直情的なアルバムで復活を果たす。

その矢先、、、

1978年の暮れ、EL&Pの最新アルバム、「ラブ・ビーチ」が突如発表された。
同級生のロック女子の間で阿鼻叫喚の地獄絵が展開されたことを、どこまで想像頂けるであろうか?



「何?このアンパンマン!!」

この一言に象徴される、グレッグ・レイク氏の悲劇的な変貌であった。
いや、記憶を捏造してはいけない。1978年当時、アンパンマンは存在していたが、アニメ化はされておらず、それほど周知のキャラクターでは無かった。

今、改めてジャケットを見ると、そんなに酷い風貌でもない。昔が美少年すぎたのだ。

 

晩年は、まごうかたなきアンパンマン。


呆然とするミーハー系女子が、その後登場してきたジャパンのデビッド・シルビアンに一極集中して行ったのは当然の結果だったと思う。

音楽的にもポップでEL&Pらしからぬ(という人が多かった)感じで、プログレマニアにも不評を買ったアルバムであった。ジャケットデザインも、プログレバンドのそれでは無い。今、聴きなおすとなかなか良い曲揃いで、言うほど悪くないとは思うんだが、歴史と時代が悪かったと思う。

私にとってのグレッグ・レイク氏は、そこで終わった。

その数年後、ASIAの来日公演に、直前で解雇されたジョン・ウェットンの代役として登場したのだが、それは既に余韻でしかなかった。

また、ドラマーに何故かコージー・パウエルを迎えてエマーソン・レイク&パウエルとしての活動もあったが、その頃は既に興味を失くしており、その復活劇を楽しむような事も無かった。

ベーシストとしては、ピック奏法であり、オルタネイト・ピッキングとかを勉強するのにはとても良いお手本になると思う。

しかし、まさかEL&PのEとLが同じ年に死んじゃうとはなあ!!
コージー・パウエルも死んじゃってるしなあ。

カール・パーマー氏には、嫌というほど長生きして貰いたいものだ。

| 【訃報】 | 10:11 | comments(0)
望月三起也さんのこと。
今年は結構ショックな訃報が多いので、あまり訃報のことは書かないようにしようと思っていたのだが、この人となると話は別だ。

マンガ家の望月三起也さんが亡くなった。77歳。肺癌で闘病中との告知があり、覚悟はしていたが、それから結構早かった。

タツノコプロ出身で、秘密探偵JA、ワイルド7と、痛快なアクションものが中心で私を含む当時の少年たちに大人気だった漫画家の一人である。特に、少年画報社のマンガ雑誌「少年キング」は、望月さんが屋台骨を支えていたと言っても過言ではない。

サッカー好きとしても知られているが、サッカーマンガはザ・キッカーくらいで、そんなにたくさんは書いていなかったように思う。アクションものの他には、戦記ものが多く、最前線、タイガー陸戦隊、荒鷲少年隊などは、その的確な描写と時代考証、暗い話の中にちりばめられている秀逸なギャグなどがことごとくツボにハマり、当時小学生だった私は、松本零士の戦記物と並んで愛読書としていた。秘密探偵JA、ケネディ騎士団、優しい鷲JJなどのアクションものも、最高に面白かった。

だが、何と言っても望月先生の代表作と言えばワイルド7だろう。
囚人を使って組織した超法規組織ワイルド7。
7人全員がオートバイを操り、悪者を退治する唯一無二の痛快アクションドラマであった。

比較的序盤に、7名中2名が殉職したのも衝撃的だったが、その後釜としてゲリラハンターのユキが紅一点で参加してから、さらに面白さに拍車が掛かった気がする。

「運命の七人」で、飛葉を除く全員が殉職したと思ったら生きていたのには、随分騙された感があったが、終章「魔像の十字路」で、本当に全メンバーが死に、ユキが最後の望みをかけて「夏に雪が降る」という老婆の予言を現実にすることで飛葉を助けようと、自ら海に身を投じるシーンは、男性マンガ史の中でも屈指のラストシーンのひとつであった。

この時私は高校生であったが、久々に買った少年キングのラストシーンを読んで、涙が止まらなかったのを今でも覚えている。

ワイルド7では、背景に「LED ZEPPELIN」などロックミュージシャンの名前がさりげなく看板等に描かれているのも楽しみのひとつだった。あれは望月先生の仕業なのか、当時のアシスタントさんのいたずらなのか、知りたいところである。また、連載当時は気づかなかったが、緻密な絵でありながら、ほとんどスクリーントーンを使っていないのに、大人になってから驚いたりもした。

全48巻となる単行本は、何回か売り買いをしたのち、今でも全巻が私の書庫に収まっている。このほか、秘密探偵JA、最前線など、望月先生の著作集は、水木しげる、つげ義春、はるき悦巳と並んで、私の書棚を占領する1ジャンルだ。

ワイルド7はテレビドラマ化、映画化もされたが、望月さんはどれも気に入らなかったようだ。確かにイマイチのものばかりだったね。昨年、ワイルド7リターンズの2巻が発売されたばかりで、さらに「俺の新選組」の続編を書くと仰っておられただけに、残念でならない。

故人を偲んでワイルド7、全48巻を読み直そうと思っているが、1日1冊ずつ読んでも1ヶ月以上かかるのであった。全巻読破は、これで何度目になるかなあ?

 
| 【訃報】 | 10:43 | comments(2)
デビッド・ボウイとわたくし。
私にとって、デビッド・ボウイはグラムの人というよりもダンスの人だった。

ジギースターダストとは相性が悪くて、グラムは一にドールズ、二にボラン、三にストゥージーズであった。グラムはみんな変だったが、中でもデビッド・ボウイは一番変だった。グラムロッカーは総じて美しくないが、中でもボウイは極端に人間離れした狂気を感じてしまって、そこがダメだった。

ボウイを評価したのはイギー・ポップとの一連のコラボからだ。
The Idiot、Lust For Life の2枚のアルバムはイギーのアルバムの中でも突出して好きなアルバムである。
ボウイ自身は、ブライアン・イーノのプロデュースでベルリン三部作を作成。
ボウイがこっちの方向に進んだのはとても嬉しかった。
中でもロウが一番のお気に入り。ヒーローズは、ボウイというよりもロバート・フリップの印象が強すぎて、そこがボウイとしてはもうひとつな感じがある。(フリップ好きという意味ではこれも捨てがたいが)

だが、ボウイ=イーノ路線はここで終わる。

そして誰もが驚いたナイル・ロジャースとの共作、レッツ・ダンス。
レッツ・ダンスも良かったが、個人的にはイギー・ポップのチャイナ・ガールのカバーが素晴らしく良かったな。このアルバムは、ポリスの「シンクロニシティ」、U2の「WAR」と並んで、私の83年度最高傑作アルバムの一つになった。

その後のティン・マシーン以降の音楽活動には、あまり関心が無かった。

だから、私にとって、デビッド・ボウイはダンスミュージックの人だ。

最近になって、再び積極的な音楽活動を始めた矢先の死は、とても残念である。

アリス・クーパーやイギー・ポップより早く死んじゃうとは思わなかったよ。

 
| 【訃報】 | 21:38 | comments(2)
水木先生、ありがとうございました。
漫画家の水木しげる先生が亡くなった。享年93歳。大往生と言って良いだろう。
半年くらい前に連載中止の報があり、ご高齢という事もあって、亡くなったという事に対して、驚きというよりも、ああ、遂に来たかという思いであったが、意外と喪失感は無い。
何というか、まさに「フハッ」という感じであった。

ゲゲゲの鬼太郎を筆頭に、悪魔くん、河童の三平、そして数々の短編作品など、水木作品にはとてもお世話になった。

少年マガジンに掲載された「鬼太郎誕生」の話は、ラーメン屋に置いてあった雑誌で見た。
テレビで見ている鬼太郎とは違って、怪奇イメージを強くしたものであった。
ミイラ男のような姿をしたお父さんの体が腐り、目玉が抜け落ちてしまうのだが、その目玉から手足が生えて目玉親父になるシーンが強烈に印象的で、今でも良く覚えている。

その後、秋田書店二見書房のマンガ文庫で貸本時代の墓場鬼太郎が復刻され、それも全部買った。
アニメで見る善人でスーパーマン的な鬼太郎より、漫画で見る、ちょっとヒネクレた鬼太郎のほうが、人間的でとても好きであった。根子ちゃんの手を握って鼻息を荒くするシーンとか、大好きであった。

水木プロには、アシスタントとして、つげ義春や池上遼一が参加していて、背景の病的な点描の多くは、つげ義春の手になるものと思われ、その関係で、つげ義春の作品も好きになっていった。

池上遼一を題材にした、「漫画狂の詩 池上遼一伝」は、あのカッコいい漫画を描く池上遼一さんの真の姿が浮き彫りになっていて、とても面白い作品であった。

南方での戦争実話を描いた「総員玉砕せよ!」も好きだし、「魔女モンロー」など、ちょっとエッチな作品にも独特の水木スタイルがあって、それがとても好きであった。

だが、一番好きな話は何かと問われたら、やはり出世作の「テレビくん」という事になるかなあ。

私が漫画好きになり、民俗学、言語学などに興味を持つようになり、サブカル的なものに良く接するようになったのは、間違いなく水木先生のマンガに影響されての事である。

「ペーソス」という言葉を知ったのも、水木マンガからであった。水木マンガのペーソスには、「哀愁」という言葉では訳しきれない独特のイメージがある。それはまさに水木マンガ独特の世界観であり人生観と言えるのかもしれない。

書き出すときりがないのでこれくらいにしておこう。
本当に長い間、ありがとうございました。あの世でトペトロさんとのんびり暮らしてくださいな。

 
| 【訃報】 | 13:37 | comments(2)
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