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「野火」を見た。
健康診断が予定より大幅に早く終わってしまった。
このまま会社に帰るのも業腹なので、ちょいとサボって行こうと思って、ハタと思いついた。
そうだ、映画、見よう。

とても気になっていながら、予定が合わなくて見られなかった映画、「野火」を見る。

で、以下感想。ネタバレを多数含むので未見のかたは要注意。

***

大岡昇平の原作を映画化したものである。戦争映画っぽいが、これは戦争映画ではない。
勿論、時代は太平洋戦争の南方で、日本軍兵士の事を描いているんだから、戦争映画の範疇ではある。
だが、いわゆるドンパチは殆ど出てこない。というよりも、敵軍と「交戦する」シーンが全く無い。
敗走し、逃げる途中で米軍に見つかり機銃掃射で全滅というシーンはあるが、その時も日本軍は「戦って」いない。ただ只管、なぶり殺されているだけだ。
それは戦争とは言わない。ただの鏖(みなごろし)だ。

正直、「戦争映画」というものに対しては人一倍、辛口の批評をすることにしている。それは、ミリタリーファンとしての矜持でもある。「野火」の映画化と聞いて、巷の良い評判を幾つか聞いたけれども、正直言って、それほどは期待していなかった。まあ、いつの場合でも、他人の大絶賛映画に対しては斜に構えてしまいがちな天邪鬼である。しかも戦争映画と来ては、簡単に高評価などできない。最近よくある国産の戦争美化映画みたいなノリがちょっとでも入っていたら、こき下ろすつもりであった。

が、実際見て、その思いを大きく改めざるを得なかった。

これは戦争映画ではない。
少しでも、戦争とは云々、生きるとは云々などと綺麗ごとが語られていたら、そこで終わりの映画であった。だが、そんなことは1ミリも語られていなかった。戦局の説明や、この戦地がどこであるかの説明すら省かれた。事前知識なしで、これがフィリピンであると理解できた人は殆ど居ないだろう。
そこが、この映画の特筆すべき点の一つである。
もう一度言う。これは戦争映画ではない。

では何なのか。陳腐な表現になってしまい申し訳ないのだが、これは人間の狂気を描いた映画である。
戦争の善悪だの、殺人行為の善悪だのとは別の話だ。極限に達したとき、人間は人間を喰えるのか、というカニバリズムに対して正面から向き合った映画である。

太平洋戦争における南方戦線で、食人行為が行われていたという事実は、あまり分析研究されていないまま、戦後70年が経過してしまった。そこが日本の戦後のダメなところの一つなのであるが、話が大幅にずれてしまうので割愛する。この分野には詳しくないが、小説などを通じて表面的にこの行為を明らかにしているのは、この「野火」という作品のほかには、「ゆきゆきて神軍」くらいしか知らない。
ニューギニア戦線に於いては「友軍の死肉を喰うべからず」という公式命令すら発せられており、常習化していた疑いがある。南方から命からがら逃げかえった人たちの中には、食人行為を行っていた人も少なくなかっただろう。逆に言えば、そこまで生に固執したものだけが生き残ったのだ。当然のごとく、そんなことは秘匿された。それを訊き出す人も居なかった。それは、大きな失態と言わねばならない。決して人肉食をした人々に対する糾弾ではない。異常事態の中で人肉(しかも友軍の死肉)を食べざるを得なかったという事実と、その心理状態はもっと分析されるべきであった。そして、そのような異常行為を二度と起こさないための研究をすべきであった。だが、それらの生き証人たちも既に殆ど鬼籍に入ってしまっている。もはや事実を知るすべはない。
なお、「ひかりごけ」も戦争中の食人行為の話であるが、事情が大きく異なる。

ただ、小説「野火」における食人行為は、永松という兵隊の個人的狂気の中で行われ、彼を「人食い人種」と呼ぶことで収束していたように思った。勿論、田村もサルの肉と言われて人肉を喰ってしまうのだが、それは事故であって、食人行為を自ら正当化したわけではない。それ故に、最後は狂気の淵に立ってしまうのであるが、それも個人の内面的な問題として解決できるような作品として纏められていたように思う。この作品が世に出た当時としては、そのような結末にせざるを得なかったのかもしれない。

だが、この映画「野火」における食人行為はいかなるものであったか。中村達也演じる伍長が、「ニューギニアでは人肉を喰ってきた」と言ったり、死の直前、自分の腹を指さして、「俺が死んだら、ここ食っていいからな」などと言っている。すなわちそれは、単に個人的問題ではなく、日本軍全体が抱えていた問題という捉え方を意味する。それが事実であるかどうかは別として、そのような冗談が真実味を帯びて聞こえるほど、日本の軍隊は餓えて、狂っていたのだろう。

生では食えない芋、というよりも木の根を喰い、腹を壊す。現地民を殺して入手した塩で生き延びる田村。だが、一方で、人間はどんなに腹が減っても、最後の一本の芋と煙草を交換するんだよと嘯く安田がいる。この、安田の言動は多くアイロニカルであるが、人肉食と対をなす考え方で効果的だ。

永松は既に狂っており、狂人が人肉(このケースでは現地民を殺してその肉を喰っている)を喰うというのは、まだ理解できる。だが、安田は、サルの肉と言われたものが人肉であることを十分理解していたのではないか。その上で、平然と永松に「サル狩り」をさせ、その肉を手に入れていた節がある。そして、それを平然として食っている。この映画の中で、一番の狂気性を感じさせたのが、この安田という男の姿であった。そこに、どうしようもない恐ろしさを感じた。表面的なグロテスク描写よりも100倍恐ろしい姿であった。

強引に戦争という課題と絡めてみれば、この惨状は、補給という課題を蔑ろにした日本陸軍の失態であって、それは太平洋戦争を通じての日本軍全体の問題であった。精神論が優先し、現実論を欠いてしまうと、このような結果に陥る。そして、最終的には神風特攻という愚策に堕ちていく。
この映画を見て、強引に戦争というものを論じるなら、ただその一点のみだ。精神論、理想論を優先するなかれ。戦争に於いては徹底的に現実主義に拘れという事だ。こんな兵隊で勝てる戦争などない。補給を絶たれたら、その時点でアウトという事だ。それ以上戦争を続けることは無意味である。
そこが理解できるかどうかが、この映画を戦争映画として見た時の問題なのだが、この映画で、そのような見方をするのは全く正しくない。
だから、この映画は戦争映画ではないと言っているのだ。

話を元に戻そう。人肉食問題の話であった。

リリー・フランキー演じる安田を殺し、その死体に齧り付く永松。そして、永松に銃を向ける田村。「俺がお前を殺して喰うか、お前が俺を殺して喰うか。お前も俺を喰うに決まってる!」と叫んで、血で染まった舌を突き出す永松。戦慄のシーンであった。
米軍の機銃掃射で斃れていく日本兵のグロテスクな姿の描写よりも、人肉を喰った舌を突き出す永松の姿のほうが遥かに恐ろしかった。
このシーンはちょっとトラウマになる。
虐殺シーンの、手がもげたり、滝のように血が流れたり、脳漿が飛び散ったりするような過激でグロテスクな描写などより、永松の赤く長い舌のほうが遥かに戦慄を帯び、恐怖を感じずにはいられなかった。

この、永松役を演じた森優作という俳優さんは、これがデビュー作だそうである。凄い新人を見つけてきたものだ。

監督と主演は、「鉄男」の塚本晋也。私より一つ年上だったと思うが、田村一等兵役が妙に似合っていた。監督=主演だからこその理解力であろう。プレイング監督というスタイルには疑問を感じる映画も多いが、少なくともこの映画に関して言えば、正解だったというべきだろう。年齢を感じさせないのは、その特殊な環境下における兵隊の表現という部分で、有利に働いたのかもしれない。

昨今、「永遠のゼロ」を筆頭に、最低な国産戦争映画ばかりで辟易としていたのだが、まさかこんな作品が生まれようとは思いもしなかった。その点では、大絶賛できる作品と言ってもいい。
特に、戦争そのものについて、全く触れていない部分がいい。ここで戦争とは何たるやなどと語ってしまっては終わりだ。もはや、彼らは戦争などしていない。生き残ることしか考えていない。いや、それすらも考えていないのではないか。理性を捨て、本能だけで生き延びようとしているのではないか。その時、人は人を喰えるのか。そういう物語である。

しかし、非常に残念な映画でもあった。
出資者が集まらず、自主制作となったそうである。
そこが本当に残念である。
お金がないので、出来る限りの制約の中で作っていることが良く分かる。それが上手く作用した部分と、限界を感じずにはいられない部分があった。

お金が潤沢ではないので、主人公田村が只管ジャングルを彷徨うシーンに終始する。だが、それが逆に、孤独感と絶望感を盛り立てた。時折混ざる、フィリピンの大自然の描写が素晴らしい。戦争中であっても、大自然は揺るぎもしない美しさを見せる。その絶景を前にして、彼にはその美しさすら目に入らない。あるのは餓えだけだ。
ただ、デジタル修正して妙にコントラストが高く彩度を上げた撮影方法は如何なものか。折角の大自然、ナチュラルに表現しても良かったかな?
深読みすれば、田村の眼を通しての大自然は、すでにナチュラルには見られないフィルターが掛かっていたと言うべきなのかも。

それとは逆に、残念だったのがラストシーン。
捕らえられ、俘虜となってから日本に帰国してからの描写までが性急すぎた。性急すぎて、何が何だかよくわからない終わり方になってしまった。それまで徹底的に現実的な描写に終始していたのが、一転して観念的表現になってしまった。お金が回らなかったのだろうなあ。ここは、原作の中でも非常に重要なポイントなので、そこにお金を掛けられなかったという点が、本当に残念でならない。だから、帰国後の田村の奇妙な食事行動が十分に描ききれていなかった。
小説における「神」の存在も無視された。

そこは、予算が無い中で、敢えて切り捨てたと言うべきだろうか。何も映画は原作どおりに作る必要はない。

原作はずいぶん昔に読んだので、うろ覚えで申し訳ないのだが、大岡昇平はキリスト教的観念を持っており、この作品にも神の存在と、それに基づく人肉食に関する描写があったと思う。しかし、塚本はそれをほぼ切り捨てた。教会の中で現地人を殺すシーンでも、神との関連性は表現されていない。だが、宗教的解釈を嫌いがちな現代の日本社会においては、むしろそのほうが正解だったのかもしれない。

個人的には、グロテスクな殺戮の描写で、特殊効果に使った金を、ラストシーンの充実に回しても良かったんじゃないかと思ったりしたが、何たって「鉄男」の監督だからね。そこはね。
あのグロテスク描写には嫌悪感を感じた。勿論、殺戮の描写であるから、あのようなものであった可能性はある。しかし、視覚的なショッキング性を重視してしまうと、精神的なショックに対する感度が鈍る。あそこだけがクローズアップされ、頓珍漢な感想しか持ちえない観客も出てくるのではないか。そこがとても気になってしまった。この映画で語るべきことは、そこではないのだから。

語り過ぎなかったことで、最後に田村が食事の時に行う怪しげな動作が、余計に気違いじみて見えて、そこに何の説明も無いために、反って想像力を逞しくしたのは怪我の功名と言うべきなのかもしれないが、果たして観客にはどこまで理解出来ていただろうか。
実際に、このように書いている私にしたところで、ラストの違和感から原作の最後の章だけを読み直すという反則行為を犯したうえで、この文を書いているのだから。

だが、変にお金があったら、あそこで妻に何か語らせちゃったりして、とんでもない駄作に陥る可能性もあった。勿論、そんなことをする監督とは思えないが、お金がないが故に、削るだけ削ったというところがひしひしと感じられて、そこが痛々しくも、それをバネにして気力で作ったぞという感じがスクリーンから強烈に伝わってきた。

決して「良い」、とは言い難い部分もある(特にグロテスク描写に関して)のだが、見るべき映画であった。
一歩間違うと超駄作になる危険性をすり抜け、ストイックに作り上げた監督の感性を評価しておきたい。

この映画を見て、「こんな戦争は二度と起こしてはならない」と感じるのも一つの考え方なので、そこは否定しない。だが、そんなありきたりの感想だけでは勿体ないと思う。戦争を超越し、人間が極限に達したときの有り様を目の当たりにして、人間というものに怖れをなす。そこに思いを巡らせてほしいと思う。

***

見終わった後、超遅い昼飯。
それでも割と平気で肉とか食えちゃうんだからね。
牛肉って美味しいよね。
それが人間というものなのだろうか。
| 【映画・テレビ】 | 09:59 | comments(0)
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