2015.12.28 Monday
ライブに関するあれこれ。
山下達郎さんが、今年のクリスマスコンサートを途中で中止した。
Gの音が出せなかったためだそうである。
http://togetter.com/li/917078
好意的なコメントが多いんだが、中止ってのはどうなんだろう?
普通の日ならともかく、クリスマスでしょ?記念日のイベント的に、それを楽しみにしていた人も居るだろうし、振替の日に行けない人も居るだろう。せめて全部演奏した上で、もう一度という事でも良かったのではないか。
ただまあ、山下達郎ならではのエピソードだと思うし、完璧を求める姿勢は悪くないとは思う。
でもね、何か煮え切らないんだよね。
そこで、今日はライブについて日ごろ感じていることを書いてみる。
散文的に感じた事を書き並べるので、理路整然としていない点は、お許し頂きたい。
批判とかそういうのではなく、あくまでも自分の気持ちを書いているだけなので、そこは斟酌して頂きたく。
**
音楽を聴く量の割に、ライブを見に行かなくなって久しい。
今回、多くのファンを魅了したキング・クリムゾンのライブもスルーした。
あれほど熱狂したバンドの来日で、しかも私が好んで聞いていた70年代の曲を中心にやるライブであったのに行かなかった。行かないわけがないのに、行かなかった。
恐らく10年前だったら、万難を排して見に行っただろう。
20年前だったら、全公演見ただろう。
30年前だったら、借金してでも見ただろう。
40年前だったら、親に頼んで見に行かせて貰ったかもしれない。
ま、そういう事である。
聴く側が年を取ってしまったのだ。
だから、出来るだけ若いうちに音楽を見て聴いて、積極的にライブに足を運んでおいて欲しいと思う。
**
バンドによっては、レコードじゃなくてライブのほうが断然良い人たちもいるし、会場の一体感とか、生で聞く演奏のすばらしさとか、ライブの良さは熟知しているつもりだ。
それでも敢えて、ライブに行くことは少なくなった。
ひとつには、チケット代が高い。という事がある。
くだんのクリムゾンのライブは1公演1万6千円であった。今、私は一公演に1万円以上払うライブは、どんなに見たいバンドでも見に行かないと思う。そこまで価値観を求められなくなった。
というよりも、忘れちゃうんだよね。内容をね。
どんなに凄い演奏でも、すぐ忘れちゃう。
勿体ないんだよね。
35年前のキッスのコンサートとか、ドゥービーブラザースとか、ランナウェイズの下着姿とか、今でも一挙手一投足まで覚えているのにね。10年前のキッスのライブは悪いとこしか覚えていない。
そうなのだ。良いところはサラっと忘れて、悪いとこばかり記憶に残るようになってしまったのだ。
これはとても残念なことなのだ。
人間が矮小になったのかもしれない。
揚げ足取りばかりしていると、そんな詰まらない人間になる。
そう思ってから、揚げ足取りは出来るだけしないようにしてはいるのだけれど。
年を取って、新しいことに感激しづらくなった。
一瞬の感動が持続できなくなった。
リフレイン出来なくなった。
そういう問題もあるかもしれない。
**
10年前のキッスのコンサートがターニングポイントになったのは間違いない。
エネルギッシュなステージを見せていたポールもジーンも年老いた。体形が崩れ、腹にたるみの出たポールや、くたびれてステージ上に座って一息つくジーンの姿は見たくなかった。
あれで、70年代全盛期のバンドのライブは、もういいやという気持ちになった。
今回のクリムゾンは、それでも久々のメル・コリンズとか出ていたし、セットリストを見るたびに、ああ、あんな曲もやったんだ、という思いをしたが、それでも行かなかったことに後悔はない。
ただ、非常に評判が良かったので、DVDとかCDで出して欲しいな、という気持ちはある。
ライブでは聴かなかったが、CDは聴きたい。でも10枚組3万円とか辞めてね(やりそうだ)。
それでも2回分の費用で全公演の音源が聴けるのなら儲けもの?(それが錬金術師ロバート・フリップの罠にハマってんだよ)
クリムゾンは特殊なバンドだけれども、それでも、メンバーの半分以上が知らない人なので(私のクリムゾンは80年代で終わっているので、メンバーの名前を見ても、パットとかいう人はマッグリンじゃないのかとか、ジャコはとっくに死んでるだろうとか、頓珍漢な感想しか出てこない)、そういう意味でもさほど興味は惹かれなかった。せめてエイドリアン・ブリューが居ればね。
ブリュー抜きでも、ビル・ブルーフォードが復活するなら見たかもしれないなあ。
それはイエスも同じで、ジョンが引退し、クリス亡き今、新メンバーのイエスを見に行く気にはならない。特にジェフ・ダウンズは(以下略)
というか、もうみんなお爺さんだからねえ。見るに堪えないという気持ちになってしまう。
**
それとは逆に、年を食っても味の出る人もいるわけで、エリック・クラプトンなんかは、その一人だった。
ところが、2006年のライブで、スライドギターを弾いていたデレク・トラックスが滅茶苦茶上手くて、全部この人が持ってっちゃったコンサートがあって、その時、やっぱり若い才能に目を向けないといけないなあ、などと感じたものであった。
もし、次に見に行くことがあるとするなら、ニック・ロウくらいかな?
元々枯れた音の人であったが、より一層枯れたお爺ちゃんになった。
こういう人のライブは年を取っても見たいという気にさせてくれる。
一昨年のライブは日程が合わず断念したので、次の機会があればぜひ見てみたい。
フェラ・クティが生きていれば、見たいライブのナンバーワンだったけどな。(時事ネタ)
**
年寄りよりは若者。ということで、最近は、ライブ写真を撮影させて貰っていた内核の波絡みで、日本のインディーズ系のバンドを良く見るようになった。
一時期は、足しげくライブハウスに通ったものだが、体力的に難しくなってきたので、現在では金属恵比須絡みのコンサートだけにしている。
若い人の若い音には興味あるんだけれども、アルバム通して凄いとか面白いというバンドになかなか出会えない。金属恵比須は、若いけど音は古いのをベースにしてるからね。
次にライブを見たいと思うバンドが出てくるならば、そういう若い人の新しい音のライブなんじゃないかと思っている。
でも、新しい音って難しいよねえ。
Gの音が出せなかったためだそうである。
http://togetter.com/li/917078
好意的なコメントが多いんだが、中止ってのはどうなんだろう?
普通の日ならともかく、クリスマスでしょ?記念日のイベント的に、それを楽しみにしていた人も居るだろうし、振替の日に行けない人も居るだろう。せめて全部演奏した上で、もう一度という事でも良かったのではないか。
ただまあ、山下達郎ならではのエピソードだと思うし、完璧を求める姿勢は悪くないとは思う。
でもね、何か煮え切らないんだよね。
そこで、今日はライブについて日ごろ感じていることを書いてみる。
散文的に感じた事を書き並べるので、理路整然としていない点は、お許し頂きたい。
批判とかそういうのではなく、あくまでも自分の気持ちを書いているだけなので、そこは斟酌して頂きたく。
**
音楽を聴く量の割に、ライブを見に行かなくなって久しい。
今回、多くのファンを魅了したキング・クリムゾンのライブもスルーした。
あれほど熱狂したバンドの来日で、しかも私が好んで聞いていた70年代の曲を中心にやるライブであったのに行かなかった。行かないわけがないのに、行かなかった。
恐らく10年前だったら、万難を排して見に行っただろう。
20年前だったら、全公演見ただろう。
30年前だったら、借金してでも見ただろう。
40年前だったら、親に頼んで見に行かせて貰ったかもしれない。
ま、そういう事である。
聴く側が年を取ってしまったのだ。
だから、出来るだけ若いうちに音楽を見て聴いて、積極的にライブに足を運んでおいて欲しいと思う。
**
バンドによっては、レコードじゃなくてライブのほうが断然良い人たちもいるし、会場の一体感とか、生で聞く演奏のすばらしさとか、ライブの良さは熟知しているつもりだ。
それでも敢えて、ライブに行くことは少なくなった。
ひとつには、チケット代が高い。という事がある。
くだんのクリムゾンのライブは1公演1万6千円であった。今、私は一公演に1万円以上払うライブは、どんなに見たいバンドでも見に行かないと思う。そこまで価値観を求められなくなった。
というよりも、忘れちゃうんだよね。内容をね。
どんなに凄い演奏でも、すぐ忘れちゃう。
勿体ないんだよね。
35年前のキッスのコンサートとか、ドゥービーブラザースとか、ランナウェイズの下着姿とか、今でも一挙手一投足まで覚えているのにね。10年前のキッスのライブは悪いとこしか覚えていない。
そうなのだ。良いところはサラっと忘れて、悪いとこばかり記憶に残るようになってしまったのだ。
これはとても残念なことなのだ。
人間が矮小になったのかもしれない。
揚げ足取りばかりしていると、そんな詰まらない人間になる。
そう思ってから、揚げ足取りは出来るだけしないようにしてはいるのだけれど。
年を取って、新しいことに感激しづらくなった。
一瞬の感動が持続できなくなった。
リフレイン出来なくなった。
そういう問題もあるかもしれない。
**
10年前のキッスのコンサートがターニングポイントになったのは間違いない。
エネルギッシュなステージを見せていたポールもジーンも年老いた。体形が崩れ、腹にたるみの出たポールや、くたびれてステージ上に座って一息つくジーンの姿は見たくなかった。
あれで、70年代全盛期のバンドのライブは、もういいやという気持ちになった。
今回のクリムゾンは、それでも久々のメル・コリンズとか出ていたし、セットリストを見るたびに、ああ、あんな曲もやったんだ、という思いをしたが、それでも行かなかったことに後悔はない。
ただ、非常に評判が良かったので、DVDとかCDで出して欲しいな、という気持ちはある。
ライブでは聴かなかったが、CDは聴きたい。でも10枚組3万円とか辞めてね(やりそうだ)。
それでも2回分の費用で全公演の音源が聴けるのなら儲けもの?(それが錬金術師ロバート・フリップの罠にハマってんだよ)
クリムゾンは特殊なバンドだけれども、それでも、メンバーの半分以上が知らない人なので(私のクリムゾンは80年代で終わっているので、メンバーの名前を見ても、パットとかいう人はマッグリンじゃないのかとか、ジャコはとっくに死んでるだろうとか、頓珍漢な感想しか出てこない)、そういう意味でもさほど興味は惹かれなかった。せめてエイドリアン・ブリューが居ればね。
ブリュー抜きでも、ビル・ブルーフォードが復活するなら見たかもしれないなあ。
それはイエスも同じで、ジョンが引退し、クリス亡き今、新メンバーのイエスを見に行く気にはならない。特にジェフ・ダウンズは(以下略)
というか、もうみんなお爺さんだからねえ。見るに堪えないという気持ちになってしまう。
**
それとは逆に、年を食っても味の出る人もいるわけで、エリック・クラプトンなんかは、その一人だった。
ところが、2006年のライブで、スライドギターを弾いていたデレク・トラックスが滅茶苦茶上手くて、全部この人が持ってっちゃったコンサートがあって、その時、やっぱり若い才能に目を向けないといけないなあ、などと感じたものであった。
もし、次に見に行くことがあるとするなら、ニック・ロウくらいかな?
元々枯れた音の人であったが、より一層枯れたお爺ちゃんになった。
こういう人のライブは年を取っても見たいという気にさせてくれる。
一昨年のライブは日程が合わず断念したので、次の機会があればぜひ見てみたい。
フェラ・クティが生きていれば、見たいライブのナンバーワンだったけどな。(時事ネタ)
**
年寄りよりは若者。ということで、最近は、ライブ写真を撮影させて貰っていた内核の波絡みで、日本のインディーズ系のバンドを良く見るようになった。
一時期は、足しげくライブハウスに通ったものだが、体力的に難しくなってきたので、現在では金属恵比須絡みのコンサートだけにしている。
若い人の若い音には興味あるんだけれども、アルバム通して凄いとか面白いというバンドになかなか出会えない。金属恵比須は、若いけど音は古いのをベースにしてるからね。
次にライブを見たいと思うバンドが出てくるならば、そういう若い人の新しい音のライブなんじゃないかと思っている。
でも、新しい音って難しいよねえ。