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2017.02.27 Monday

8時に全員集合しなかった家

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    今日の話は、Facebookでコメントしたものがベースになっているのだが、自らの備忘録的な意味で、日記にまとめておきたいと思う。

    ***

    僕らの年代にとって、ドリフターズの「8時ダヨ全員集合!」は、誰もが見ている怪物番組であった。視聴率は最高で50%にも及ぶという凄い番組。中でも、加藤茶によるギャグ「ちょっとだけよ、あんたも好きね」は、当時の子供たちがみんな真似をした。

    横にした炬燵の赤ランプをスポットライトに見立て、その前でポーズを取るのである。BGMは「タブー」。僕らの世代は、あの曲を聴くと加藤茶のポーズを必ず思い出すはずだ。

    と、まさに見てきたような事を書いているが、実は私は「8時ダヨ全員集合!」を見た事がほとんどない。この、加藤茶のギャグが問題となり、家ではドリフはNGだったのである。だから、小学生時代、「8時ダヨ全員集合!」は見せて貰えなかった。

    1回だけ見て、「これはダメ」と言われたのだと思う。ま、大体において、当時我が家では、土曜の夜8時のチャンネル権は父親にあった。子供は夜6時から7時台のチャンネル権を確保していたが、そのバーターとして8時以降は父母に選択権があったのだ。

    ビデオなど一般家庭には無い時代である。テレビも一家に一台。だから、裏番組を録画しておいて後で見るとか、別室で一人だけ別番組を見る、などという芸当は出来なかった。

    大抵の家は白黒テレビで、まだカラーは珍しかった。テレビが無い家も多く存在していた時代だ。だから、学校でテレビの話をしても、ついて来られない子がいたから、クラス共通の話題というわけではなかったし、テレビが無いから、全員集合を見ていないから、と言ってイジメられるような事も無かった。

    全員集合が始まったのが1969年。裏番組にフジテレビの「コント55号の世界は笑う」があり、当初は視聴率もそちらのほうが良かったらしい。

    全員集合が人気を誇るようになったのは1970年以降の話であるが、当時から我が家はNHKフリークだったので、土曜の8時はNHKを見るのが習わしであった。

    1970年までは、ステージ101。NHKの101スタジオで、ヤング101というコーラスグループが歌を歌う番組であった。若き日の太田裕美、谷山浩子、田中星児、串田アキラなんかがいた。若子内悦郎さんという人が居て、祖母のお気に入りだったのをよく覚えている。後に放送日を日曜に変えて1974年まで続き、レッツゴーヤングにバトンタッチした。

    1971年、NHKはあろうことか、お笑い番組をぶつけてくる。それが「お笑いオンステージ」であった。三波伸介、伊東四朗、戸塚睦夫の「てんぷくトリオ」によるお笑い番組だった。割と善戦していたが、戸塚睦夫が病気でリタイヤ、のち死去すると、てんぷくトリオは解散。番組は日曜夜にシフトし、三波伸介中心の番組になっていく。

    1972年、仮面ライダー人気に気を良くしたNETは、全員集合に対して特撮&アニメをぶつけてくる。それが「人造人間キカイダー」と「デビルマン」であった。我が家はNHKを見ていたので、キカイダーもデビルマンも見る事が出来ず、後追いで再放送を見たクチだったが、一部の子供たちは全員集合を離れて、こちらを見ていた子も多かったように思う。

    この前後に、前述の加藤茶によるストリップの物真似、「ちょっとだけよ」が始まり、子供たちの間で大人気になり、みんなが真似をするようになった。子供たちがストリップの何たるかを理解しているわけではない。ただその音楽(タブー)と、コミカルな加藤茶のポーズ、そして「ちょっとだけよ、あんたも好きねえ」というセリフが妙にウケたのだ。そして、それがNGを喰らったのだった。1973年、「全員集合」は驚異の視聴率50%をたたき出す。

    続く1974年、NHKは果敢に対抗路線を敷いた。NBCミステリーの最高峰、刑事コロンボを放映したのであった。我が家は当然のように刑事コロンボを見る。私は子供ながら、最初から犯人が分かっているという新しいスタイルのミステリーにのめり込んだ。毎週土曜日が楽しみだった。1975年、コロンボの後番組として、同じくNBCの警部マクロードが始まり、これも楽しみに見ていた。

    ドリフのほうは、荒井注が引退し、志村けんが入ってくる。だが、志村は2年くらい人気が出なかったようだ。ここからドリフ低迷期が始まり、クラスの中でもコロンボを見ているという子が増えるようになってきた。低迷期とは言え、視聴率は30%台だったらしいから、お化け番組なのには変わりない。

    1975年、低迷期ドリフに、さらなる対抗馬が現れる。コント55号を解散した萩本欽一による「欽ちゃんのドンとやってみよう!」だ。ラジオから人気を得てテレビに進出するという異色の番組であった。「良い子悪い子普通の子」になる前、気仙沼ちゃんとかが出ていたころだ。前川清のコメディアンとしての才能を引き出した番組でもある。

    警部マクロードが終わり、松本清張シリーズが始まるまでの間、我が家でも欽ドンと日テレの全日本プロレス中継を交互に見る日が続いた。この時も、全員集合は見ていない。我が家は基本的に野球を見る家では無かったので、NHKか野球中継をしていた時に、幾らでもチャンスはあったと思う。単発的に、キャンディーズが出ていた時代とかにワンポイントで見たような記憶もあるが、通しで全員集合を見ていた記憶は殆どない。

    全員集合の復活は1976年。志村けんの初ヒット、東村山音頭であった。NHKは土曜ドラマシリーズ、コロンボとマクロードの新作を単発的に放送していたので、意外と穴があったのだが、我が家はNHKの番組で面白いものが無い時は、引き続き欽ドンとかプロレスを見ていたように思う。だから東村山音頭をテレビで見た記憶はない。

    1979年、加藤茶と志村けんによるヒゲダンスのブーム期にも、全員集合は見ていなかった。日テレの全日本プロレス中継が無くなり、NHKは相変わらず土曜ドラマの短期ものばかりで穴が多く、この時期は流石に全員集合を見る機会もたくさんあったのだが、何のことはない、受験勉強などもあり、この頃は殆どテレビは見ていなかったのだ。

    そして1981年10月、漫才ブームに乗って、フジテレビが「俺たちひょうきん族」を始める。最初は不調だったようだが、徐々に人気を博していった。NHKが、看板の土曜ドラマを8時スタートから9時スタートにシフトしたのも大きかった。我が家の土曜8時台のチャンネル権は当時中学生だった妹が完全掌握していた。この頃になって、ようやく何度か全員集合を見た記憶がある。おそらく妹が好きだった田原俊彦が出演していた時だろう。ただし、基本はひょうきん族を見ていたような気がする。そして、大学に入って実家から出ることになり、しばらくテレビの無い生活をしていた。

    テレビを買ったのは82年か83年だったと思うが、土曜の夜8時には下宿に居なかったことのほうが多かったような気がする。居たときでも、テレビを見るなら、ひょうきん族であった。

    1985年、遂に視聴率トップをひょうきん族に渡し、全員集合は終了することになる。

    そんな感じで、我が家は全員集合とは縁の薄い家庭であった。

    16年間に渡る放送で、私が確実に全部見たと記憶しているのは2回だけ。
    一番見ていると思うのは、番組最後の「ビバノン音頭」。他の番組が終わってからチャンネルを変えるとやっていたので見た、という感じである(笑)

    「全員集合」はタイムテーブルが決まっており、プロレス中継を見ていたときでも、CMの時にチャンネルを変えて見たりしたのだが、それは大体、前半のコントが終わってゲストの歌が歌われているタイミングか、少年少女合唱隊のコーナーだった。それは結構見ている気がする。

    だから、世代の割には全員集合ネタには疎いのだ。
    コメント
    全員集合ネタに弱くても、当時のあれこれをここまで詳細に伝えてるので無問題だと思います!
    読み応えあってすごい楽しかったーーー!!!
    • シブメグ
    • 2017.02.27 Monday 17:49
    記憶で書いてるので、時系列が間違ってるのもあるかもしれませんが、色々思い出せて面白かった!!
    • 雀坊。
    • 2017.02.27 Monday 21:59
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