クルクルちゃん TOPに戻る

Since 1997.1.1
CONTENTS

雀鉄BLOG
 軽便鉄道模型製作記


大盛飯
 金属恵比須御用達写真サイト

INPRESSIONS
 随時更新 

パチモン怪獣図鑑
 更新停止中 

大洋ホエールズ
 更新停止中 

MY BOOKMARKS
 2010/07/06 

CALENDER
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< July 2018 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
RECENT COMMENT
イチオシ
qrcode
TEXT STYLE
<< 艦これにっき(150)謹賀新年! | main | 新年会は「チラシ呑み」から >>
星野仙一とわたくし
プロ野球、中日ドラゴンズで活躍し、引退後、中日、阪神、楽天の監督を歴任した星野仙一氏が亡くなった。70歳。

星野さんはずーっと敵だったので、正直そんなに思い入れはない。というか、どっちかと言えば嫌いな人であった。

闘志むき出しで巨人と戦う姿は敵ながら天晴れと思う事もあったけれど、精神論的な野球スタイルには、ちょっと反発を感じた。その最たるものが、日本シリーズ最終戦で田中マー君に投げさせたアレ。
もう、大リーグに行くんだし、24連勝もしたし、前日160球を投げて完投勝利しているのに、最後に出すか?肩壊すんじゃない?
確かに、ドラマ的には最高のお膳立てとは思ったが、そういう事を平気でやっちゃうのが星野という人であった。

同じ日本シリーズで8回までノーヒットノーランだった山井をあっさりと降板させた落合との差を感じたものだった。あの時監督が星野だったら、絶対9回も山井だったと思う。

現役時代に話を戻すと、巨人のV10を阻止して胴上げ投手になったりして、さすがは持ってる男、というイメージであったが、ピッチング自体は気迫先行で、そんなに凄い投手とは思わなかった。イメージ的には東尾なんかとダブる、典型的昭和型投手であった。

大洋の平松と並んで巨人キラーであったが、奇しくも岡山県出身の先輩後輩である。現役時代は孤高の人の印象があったけれど、田淵、山本浩二と同学年で、引退後は非常に仲が良い感じだったのがちょっと意外な気もした。

巨人戦で燃え尽きてしまい、その次の日に大洋と対戦したときに、ヘロヘロ球が多くて結構打ち勝った記憶がある(笑)
当時は先発、リリーフと何でもこなした時代で、通算成績も150勝に達してない(146勝)ので、成績だけを見ると中堅選手であるが、大投手のイメージがあるのは、肝心な所で登板して勝つという星回りを持っていたからだろう。

現役時代より監督のほうが長くて、2度目の中日監督であった98年、わが横浜との優勝争いは、敵ながら素晴らしかったと思う。権藤横浜対星野中日の戦いは、そのまま元中日エース同士での対決でもあった。98年はわが横浜に軍配が上がり、大いに留飲を下げたものであったが、その翌年、きっちりお返しをして優勝するなど、さすが星野という感じもあった。

監督を経験した3チームすべてで優勝を経験しているのは素晴らしいが、日本一になったのは2013年の楽天だけであった。

オリンピック監督にもなったけれど、結果はパッとしなかったね。

喧嘩っ早いイメージがあるけれども、現役時代に退場経験はない。全て監督になってからであった。そのあたりも、熱血漢ながら良い意味で計算高い人だったと思う。

また昭和の名選手が亡くなってしまった。寂しくなります。

 
| 【訃報】 | 10:19 | comments(2)
コメント
よく覚えていらっしゃいますね。私はほとんど忘れてしまった!

昨年その謎がやっと分かったのですが、ノーヒットノーランの山井が降板したのは本人の希望だったそうですね。森コーチが「行くか?」と聞いたら「代わります」と降りてしまったそう。豆が潰れていたからというのがその理由でした。
| レオン | 2018/01/06 10:55 AM |
#レオンさん、

山井の件は、そうだったらしいですね。一切、言い訳しない落合も凄いと思いました。星野だったら、とりあえず1球投げさせたんじゃないですかね。自分の意思で降りるという所を見せるのもプロ野球選手のプライド、みたいなところがありましたから。

| 雀坊。 | 2018/01/06 11:41 AM |
筆者だけにコメントしたい場合は、こちらへお願いします。











ご意見、ご要望は、こちらまで




雀坊堂関連サイト - ゆきうぇぶ


コレクションとカメラの雀坊堂