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輪島大士とわたくし
昭和の名横綱の一人、輪島大士さんが亡くなった。70歳。

輪島と言えば、先代貴ノ花とともに「貴輪時代」、北の湖とともに「輪湖時代」を築いた名横綱である。

横綱時代は「黄金の左」で一世を風靡したが、北の湖の成長によって、天下は比較的短かったように思う。76年〜77年がピークで、輪島か北の湖しか優勝していなかったような記憶がある。しかも千秋楽対決や優勝決定戦で決まるケースが多く、まさにがっぷり四つの横綱相撲を見せてくれていたものだった。

この頃、親戚の叔母さんの旦那が輪島の愛車であるリンカーン・コンチネンタルの専属ドライバーをしていたそうで、「今度輪島のサイン手形を貰ってあげるね」と言われて期待していたのだが、その直後くらいに離婚してしまったので、約束は果たせていない。

北の湖が圧倒的な強さで君臨していたのに対し、輪島は78年以降、急速に衰えが目立つようになり、81年に引退。その後は花籠部屋を継ぐが、名跡を担保に借金をしていたのがバレて廃業となってしまった。金遣いが荒いという話も聞いたことがあった。

その借金返済のためか、何と馬場の全日本プロレスからプロレスラーとして再デビューを果たす。
当時の週刊プロレスなどのマスコミから激しくバッシングを浴びたりしていたが、我が家では比較的好印象で輪島の姿を見ていた。

極端なガニマタの上に、上半身棒立ちで、お尻がチョンと突き出ており、そこに力士時代の黄金色に染めたリングパンツを穿いている姿が、オムツをしているように見えてしまい、それ故に我が家では「パンパースちゃん」と呼ばれて親しまれていたのだった。

全日本ではリック・フレアーのNWA戦に挑戦したりしていたが、何といっても天龍源一郎との闘いが記憶に残っている。大相撲出身者同士として、天龍には期するものがあったのだろう。輪島の、相撲が抜けないレスリングスタイルを見ていて、天龍がまだブレイクせず、相撲のつっぱりなどを出してダサいプロレスをしていた頃を思い出したのだろうか、輪島には容赦ない蹴りを浴びせ続けていた。そして、それを受ける輪島の凄みも充分に感じることが出来た。

レスラーとしては二流であったが、天龍戦だけは相撲取りの強さや怖さみたいなものが垣間見られた。
相撲の喉輪落としをプロレス技として使い、ゴールデンアームボンバーなどと称していたのだが、形が決まらないし、相手を倒した後の攻めが続かず、結局は相撲が抜けきらなかった。そこがプロレスラーとしては大成しなかった理由ではないだろうか。

結局2年でプロレスを引退し、その後タレント活動などもしていたが、アメフトの総監督に就任してからは地味な活動をしていたようである。

数年前に喉頭がんを発症し、そのせいで声が出せなくなっていたようだ。
北の湖が亡くなった時も、書面でのコメントのみであった。

この日記を書くのに過去の数字を紐解いてみたが、何と北の湖には勝ち越ししてるんだなあ!
対戦数10戦以上で負け越しているのは北の富士のみ。この数字だけを見ても、如何に凄い横綱であったかが分かるというものだ。


 
| 【訃報】 | 12:25 | comments(0)
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