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金属恵比須リハーサル
日曜日は金属恵比須のリハーサルの撮影に行ってきました。

今回のライブは20周年の総括ということで、久々のワンマンライブとなります。
演奏する曲目も、久々のアレとか十数年ぶり?のコレとか、割とレアなものから定番までバラエティに富んでおり、とても楽しめる内容になっていると思います。



今回の目玉は久々参加の諸石和馬君のドラムが聴けること。2年ぶりくらいで彼のドラムを聴きましたが、マスヒロさんとは異なる味があって、非常に懐かしい感じがしました。最近ファンになったかたは彼のドラムを見ていないと思いますので、これもお楽しみに。



そしてもう一人、今回は特別ゲストが。
何とあの、スターレス高嶋氏がリハーサルを見に来てくれたのです!!



リハ終了後、都内某所で宴会。高嶋さんも参加して、非常に濃いプログレ談義が繰り広げられました。

多良君はスティック使うの??いえいえ、これは某所の宴会に参加したNさんのもの。



高嶋さんにもCDにサインして頂きました。



スターレス高嶋名義でサインしたのは初めてだとか。すげえパチモンくさいwww



とても濃いプログレサミットでございました。詳しくは書けませんが、実現したら面白そうな有意義な話もありましたよ。16日のライブに乞うご期待!!
 
| 【音楽】 | 21:38 | comments(0)
私を構成する9つのアルバム
というのが流行っているみたいなので、早速やってみた。



奇しくもとみさわ昭仁さんと3枚もダブってしまった。まあ、同い年だからね、傾向は似るよね。
こうしてみるとライブアルバムが多い。ちょっと解説してみる。

上段左上から、

DESTROYER / KISS
何回も書いているので省略するけれど、最初にライブを見たバンドである。とにかくひたすら仰天した。この影響は今でも響いていて、ライブアクトの弱いバンドはどうしてもいまいちに見えてしまう。このアルバムでは、ボブ・エズリンのプロデュースが色々物議を醸したけれども、私は成功したと思う。デトロイトロックシティのソロフレーズはエズリンが弾いたという裏話を訊いて、また仰天。

MADE IN JAPAN / DEEPPUEPLE
パープルとツェッペリンは、僕らの年代では通過儀礼的にみんな聞いていると思うけれども、自分を構成しているという話になるとパープルに分がある。ツェッペリンは好きだけれど、構成してるほどの存在感は無い。で、メイドインジャパン。ライブインジャパンじゃないのがこだわり。
後年、日本公演3日間の全演奏がCD化されて、それを聴いたときに、このアルバムが如何に上手く選曲されているかという事を痛感して、あらためてこのアルバムの凄さに痺れた。

LIVE FROM THE BOTTOMLINE / YMO
正確にはFAKER HOLICという名のアルバム。1980年に発売されたパブリックプレッシャーは、版権の問題で渡辺香津美のギターが収録されておらず、坂本龍一のキーボードが重ねられていた。だが、実はフルバージョンの演奏が、1979年にFM東京のライブフロムザボトムラインという番組で放送されており、私はこれをエアチェックして長いことこればかり聞いていた。FAKER HOLICは、91年になって、権利関係がクリアされた関係で日の目を見ることになったのだが、内容はボトムライン以外にヨーロッパでの演奏も含まれている。だが、正直、ヨーロッパでの演奏とアレンジはグダグダで聴く気になれない。一方、ボトムラインでの演奏は鬼気迫るものがあった。特に千のナイフでの渡辺香津美のギターが絶品。だから、ここをカットしているパブリックプレッシャーなど聴く気も起きない。このライブから受けた影響は計り知れない。

中段左から、

ANIMALS / PINK FLOYD
私にとってのプログレは、ここから始まる。それ以前から聞いていたが、リアルタイムで発売された新譜で、しかも自分自身を構成していると言えるアルバムとなると、これに尽きる。ドッグで流れる、ギルモアの泣きのギターに痺れまくった。ジャケットも良いんだよね。

HOTEL CALIFORNIA / EAGLES
これも僕らの年代なら通過儀礼的に聴いていると思う。大ヒットしたホテル・カリフォルニアよりも、ニューキッドインタウンとか駆け足の人生のほうが好き。これ以後、ウエストコースト系も随分聴くようになった。いわゆるAORという音楽も良いと思えるようになった先鞭である。

BLACK SEA / XTC
まーとにかくA面冒頭の3曲ですよ。これもレコードの溝が擦り切れるくらい聴きまくったな。このへんから一気にニューウェーブに傾倒していくきっかけになったアルバム。

下段左から

RAMONES / RAMONES
世代的にはパンクロックの台頭と流行にも一番影響を受けているので、パンクも自分を構成している一つの要素と考えていい。セックスピストルズ、ダムド、ストラングラーズ、ジャムとロンドンパンクを並べてみたが、やはり自分にとってのパンクはニューヨークのラモーンズをもって嚆矢となす。

UNDER A BLOOD RED SKY / U2
U2も大好きなバンドのひとつであり、中でもこのライブアルバムの存在感は別格である。政治色が強いのはアイルランドのバンドなので仕方ないが、そういう部分を抜きにしてもステージの完成度が高い。ボノの歌い方は随分真似をした。今でも「グロリア」を歌う時はこのライブバージョンで歌うのだが、リクエストすると必ずZIGGYのほうを歌わされるのは何とかならないものか。

生聞59分 / 憂歌団
何が凄いって、木村秀勝が歌う「君といつまでも」でしょ。この曲をこんなに凄く歌えるのは憂歌団だけだ。


好きなアルバムと、影響を受けたアルバムと、構成しているアルバムは別。
構成で選ぶとこんな感じかな?
好き、となると何枚か入れ替わるし、影響を受けたアルバムも違う。
なかなか最近のものは入らないね。
| 【音楽】 | 15:01 | comments(0)
ストレンジ・デイズ
ストレンジ・デイズという雑誌をご存知でしょうか?
音楽系の雑誌ですが、洋モノのちょっと偏屈なバンドとか、今時流行らないような音楽を専門に扱っている雑誌です。

こんな本売れるのかいな、ってほど時代錯誤な感じの雑誌でして。
先月号の表紙なんてマクドナルド&ジャイルズですよ。特集はヴァン・モリソンだし。その前はレッド・ツェッペリンのフィジカル・グラフィティだったなあ。どんだけ70年代なんだか。
要するに最近の若者向けに70年代の変態音楽の紹介をしている雑誌と思ったらいいのですかね。我々ロートルには、あまり関係ないんですかね。

で、今月号が今日発売なのです。
流石に古い音楽好きの私でも、こういう本は毎号買ったりしないんですけどね。

表紙はブライアン・フェリーです。おっさんだけどカッコいいね。でも音はそんなに趣味じゃない。

ビートルズの遺伝子みたいな特集もあります。これだけは最近のバンドの紹介ですが、如何せんビートルズだからね。ビートルズ、あんまり好きじゃないし。

ヨーロピアン・ロック・フェスVOL.2のライヴ・レポートが掲載されているそうです。そうですか。

ダリル・ウェイのインタビューって、これまた古いなあ。

HACO(ハコ)インタヴュー、、ハコって山崎しかしらないけど、違うんだろうなあ。

金属恵比須(Kinzoku-Yebis)インタヴュー、、そうですか。

えっ?

金属恵比須(Kinzoku-Yebis)インタヴュー

えっ?

えーっ!!

これは買う!!

凄いねー!!!

ちなみに、そんな金属恵比須の写真は、こちらからどうぞ!

http://jumbow.blog51.fc2.com/blog-category-1.html

http://nejiyama.exblog.jp/i45/

http://nejiyama.exblog.jp/i44/

http://nejiyama.exblog.jp/i42/


B00UJXLCX2ストレンジ・デイズ 2015年 07 月号 [雑誌]
ストレンジ・デイズ 2015-05-20

by G-Tools
 
| 【音楽】 | 09:21 | comments(0)
Sam & Dave
「私のロック史」では意図的に言及を避けていたのがソウル系のサウンド。
80年代初頭、ディスコブームの頃に結構聴いていた。
昨日のアイク&ティナもそうだが、サム&デイヴもお気に入りだった。

当時、まだ動画を日常的に見られる環境はなく、おそらくベストヒットUSAのタイムマシーンのコーナーか何かで流れたサム&デイヴの映像を見た時に電気が走ったのだった。
真似できないカッコ良さだったよなあ。当時流行った映画「ブルースブラザース」の影響も大きかったように思う。

バンドでもサム&デイヴをやりたかったんだが、残念ながら私の周囲では、デイヴもエルウッドも見つからなかったのであった。


| 【音楽】 | 11:41 | comments(0)
Ike&Tina Turner
なかなか日記が書けないので、しばらく動画貼ってごまかします。

まずは、俺のソウルシスター、ティナ姐さん!!かっこいいー!!

イントロのアイケッツを加えてのダンスから痺れます。1971年だぜ!俺小4だぜ!!

| 【音楽】 | 09:59 | comments(2)
わたしのロック史(終) ライブ撮影
デジタル一眼レフカメラの登場は、ライブ撮影に画期的な変化をもたらしてくれました。
それまで、ライブの撮影というのは非常に難しいものでした。
まず、暗いのでシャッタースピードが遅くなり、ブレやすくなるので歩留りが悪くなります。次に、フィルムカメラでは撮影結果がすぐに確認出来なかったので、露出補正などは全て機械まかせか、勘に頼るしかありませんでした。
さらに、フィルムは1本36枚という制限があり、長時間のライブでは大量のフィルムを消費するほか、フィルム交換の際には撮影が出来なくなるという様々なデメリットがあったのです。

これらを払拭したのが、デジタルカメラでした。

デジタルカメラは銀塩カメラよりも高感度で撮影することができ、また、撮影結果をすぐに確認することが出来るので、撮影の難しいライブに、もってこいなのです。
フィルム交換の手間もなくなり、万一メディアが一杯になっても、その交換は瞬時に行えるので、ロスが随分減りました。

当時最新鋭の、フルサイズ・デジタル一眼レフ、キヤノンEOS5Dを購入したのが、ライブ撮影をしてみようと思うキッカケです。

最初に撮影したのは、四ツ谷のアウトブレイクだったかな?
そこで、内核の波(ないかくのわ)というバンドを知ります。

ハイテクニックのインストゥルメンタルバンドで、プログレっぽい要素もあり、強引にジャンル分けするなら、ドリームシアターなどに通じるものがありました。
このバンドが気に入って、しばらく色々なバンドを撮影するようになります。

それから内核の波、ダムダム団、日比谷カタン、月禿の騎士などを撮影してきました。
しかし、内核の波は難しかったなあ。ステージ背面にスクリーンを置き、客席後方から演奏中にプロジェクターで画像を流すんですが、そのために露出とピント合わせが地獄のように難しくて。随分鍛えられました。

その様子は、旧写真ブログ「でじ式ねじ式」のほうにアップしてありますので、興味のある方はご覧ください。

http://nejiyama.exblog.jp/i12/

また、内核とダムダム団のステージ写真を使って、写真展も開催させて頂きました。

ところが、2008年に内核の波10周年記念ライブを撮影した後、残念ながら内核の波は解散してしまいます。その後、ダムダム団も活動休止となってしまい、ここで一旦ライブ撮影から退きます。

数年後、内核の波でキーボード担当だった高木大地君の結婚式二次会に呼ばれ、その時の写真を撮ったのが縁で、再び新生金属恵比須のライブ撮影をするようになりました。

それ以後、専属カメラマンとして金属恵比須の写真を撮っています。2012年には、金属恵比須のライブ写真展を再び開催しました。

http://nejiyama.exblog.jp/18267936/

今でもたまに、他のバンドのかたから撮影依頼など頂き、有難い限りです。忙しいのでなかなかご希望に添えない場合が多いのですが、都内で土日撮影ならば、何とかなると思いますので、この程度の写真で良ければご連絡下さい。

さて、その、金属恵比須ですが、遂に2月11日から全国でCDが発売になります!
Amazonでも購入出来るようになりました。

ハリガネムシ
金属恵比須
B00SB9MQRC


自分の友人のバンドのCDがAmazonで買えるというのは格別の喜びですね。

***

さて、予想どおりだらだらと書き連ねてきた回顧日記も、本日で終了です。

現在では、もっぱらCDをi-podにダウンロードして、行き返りの通勤電車の中で聴くというスタイルが中心で、以前よりは再び身近にロックと付き合うようになった反面、学生時代のような新鮮な出会いや、強烈な影響を受けるようなことは無くなってしまいました。

もう一度ギターをやってみたいとか、バンド活動をやりたい気持ちもありますが、色々手一杯なので難しいですね。

ただ、これからもロックは聴いていくつもりです。
新たな出会いと感動を期待したいです。

長々と、冗長的な思い出話にお付き合い頂きありがとうございました。

<おわり>
| 【音楽】 | 09:21 | comments(6)
わたしのロック史(16) インターネット時代
インターネットが普及し、ロックとの付き合い方が変わるようになりました。

見知らぬ人と掲示板等で音楽談義が出来るというのは実に面白いことでした。
インターネットを始めた頃は、F1やプロレスなんかも好きで、そういったサイトにも顔を出していましたが、平行して音楽サイトも見に行くようになります。

スティーブ・ハケットが来日したのは、丁度その頃でした。

ソロ公演でありながら、元キング・クリムゾンのイアン・マクドナルド、ジョン・ウエットンを加え、ドラムはジェネシスのサポートをやっていたチェスター・トンプソン、キーボードもプログレ系セッションプレーヤーのジュリアン・コルベックというラインナップ。

ジェネシスのWatcher Of The Skyで静かに始まったコンサートでした。ライティングが見事で、ジョン・ウエットンの歌も意外とジェネシスの曲に合っていて、序盤は非常に良いコンサートだったのですが、何と!Court Of The Crimson King と I Talk To The Wind を演奏しました。イアン・マクドナルドに敬意を表しての事だと思いますが、さあ、そうなるとスティーブ・ハケットという人は影が薄くなってしまいます。
特にギターアンサンブルの弾き語りでアンプラグド風にエイジアのHeat Of The Momentをやったのは、正直言ってやり過ぎでした。スティーブ・ハケットのコンサートだったのに、ジョン・ウエットンが目立つ目立つ(笑)

人が良すぎるのかなあ、美味しいところを半分以上、ジョン・ウエットンに持っていかれてしまったコンサートでした。

この公演の模様を某掲示板で語り合ったのが、インターネットでの最初の交流という事になります。賛否両論でしたが、全体的には好印象だったと思います。
ただ、あんまり深入りすることは無かったですね。独身であれば、もう少しアクティブに動いていたかもしれませんが、結婚することになって、少し活動の幅を狭めるようになっていました。音楽の人は色々ややこしいし。特にプログレの人は(笑)

インターネットと前後して、NIFTY-Serveでの交流も始めましたが、音楽関係よりもコレクション関係の人脈が出来ました。今でもお付き合いさせて貰っている数名のかたは、最も古いネット仲間という事になります。

結婚して、妻に付き合って、彼女の好きなバンドのライブステージも見るようになりました。

杉山清貴をロックと言って良いのかどうか分りませんが、妻と結婚していなかったら絶対に見てないでしょうねえ。観客は、ほぼ女性。付き合いと思われる男性がチラホラ見えますが、そういうライブは高校時代のジャパン以来です。居心地悪かったなあ。しかも一曲目から総立ち!驚きました!!
杉山清貴は、あまり聞いたことが無かったので、いちいち新鮮な驚きがあり、色々な意味で面白いライブでした。

21世紀に入って、イエス、エリック・クラプトン、キッス、エイジアなどを見に行きますが、その内容については以前、IMPRESSIONSというブログのほうで書いたので割愛します。

そうだ、1回だけ友人のライブを見に行ったときに、飛び入り参加でディープパープルのハイウェイスターをやりましたっけ。バンドでディープパープルを歌ったのは大学以来だったかな?

その頃から写真を再開し、カメラ関係の仲間も増えてきていました。
私が好きだったのは、いわゆるストリートスナップだったのですが、肖像権問題などで少しややこしくなってしまい、街中で自由に写真を撮るのが難しくなってきました。特に子供たちを撮影するのはご法度になってしまいました。

そうなると、写真が面白くありません。何か合法的に人物を撮影し、インターネットで発表出来る場は無いかと考えていた時に、思いついたのがライブ撮影でした。

<つづく>
| 【音楽】 | 11:36 | comments(0)
わたしのロック史(15) アンプラグドとレーザーディスク
イカ天ブームがあっという間に去り、それと同時に私の音楽熱も再び急速に冷めていきます。当時熱中していたF1つながりで、スクエアやマイケル・シェンカー、ロビー・ザンダーなんかを聴いたりしたくらい。そのほかも、新しいムーブメントには全く興味がなく、古い音楽ばかり聴いていました。

そんな時、MTVで始まったのがアンプラグド・ライブでした。

電気楽器を使わず、全てアコースティックな楽器のみで演奏するスタイルの番組です。

エリック・クラプトンのライヴが大人気となり、日本でも人気となります。私もこのステージの放送をレーザーディスクで買い、久々にギターをひっぱり出して、必死でコピーしました。

ニルヴァーナ、ジミー・ペイジ&ロバート・プラント、ビョーク、キッスなどがお気に入りでした。今でもニルヴァーナ、キッスやクラプトンのアンプラグドライブの演奏は聴いています。



その頃、組合関係の仕事をしていたこともあって、組合主催の会社のクリスマス会で3年ほど連続でバンド演奏をすることになり、機材を用意するのが楽なので、毎年アンプラグド風のミニライブをやりました。私と、もう一人がエレアコでギターを弾き、パーカッションとキーボードというベースレスの4人編成。
フィル・コリンズとかクラプトンの有名どころの曲なんかを中心に演奏しましたが、そのほかはクリスマスソングだったり、当時流行の歌謡曲だったり。カラオケタイムには、歌自慢の何名かが我々の伴奏をバックに自慢の喉を披露するという感じ。
2年目にやった、アンプラグドスタイルのYMOのライディーン(正確には空手バカボンバージョン。♪テクノー、テクノライディーンーというボーカルが入るw)が大うけでした。私はどうもそういうコメディ調の曲を演奏するときしかウケないみたい。何でだ?

バブルが崩壊して、クリスマス会も縮小になり、やがて私は管理職になって組合からは抜けてしまったので、そのタイミングで会社のバンドは解散になりました。メンバーもばらばらになってしまいましたが、機会があったらまた何かやりたいですね。

この頃、レーザーディスクという媒体が登場しました。
大きさはLPレコードサイズで、アナログではありましたが、ビデオテープのように劣化しない(実はそんなことは無いのですが)という事で、プレーヤーを買い、レーザーディスクを買いまくっていました。

大半が、昔の映画や特撮番組中心でしたが、音楽関係のものも幾つか買っています。アンプラグドで映像化されたもののほか、「レッド・ツェッペリン狂熱のライブ」とか、映画化されたものなども買いました。

しかし、このレーザーディスクも、数年後に登場するDVDに取って代わられます。

レーザーディスクはレンタルが禁止されており、レンタルビデオの恩恵に与れなかったこと、録画できないので、家庭普及に結びつかなかったこと、アニメ番組のLD化で供給が追い付かなくなり、発売即廃盤みたいな状況が続き、当初からレンタルを開始していたDVDに取って代わられ、2000年ごろにはLDよりもDVDのほうが主流となっていきました。

わずか10年弱で終焉というのは、あまりにも酷い話で、我が家には既に数百枚のコレクションが溜まっていました。
大半がボックスでしたが、インターネットの普及後に始まったヤフーオークションのおかげで、粗大ゴミになる前に処分出来たのは随分助かりました。
LDは、2007年に最後の生産ラインが停止し、完全に命を絶たれた格好となっています。この時のトラウマがあるので、なかなかブルーレイには手が出ません。

余談が長くなりすぎたので、音楽の話に戻りましょう。

90年代の新しいロックには、ほとんど興味がありませんでした。

聴いたのはニルヴァーナくらい。レッチリとか、ラップ、ヒップホップ系には全く興味がありません。これは今でもそうです。否定ではなく、合わないだけなのでお間違いなく。

92年には8人イエスが来日したので、これは見に行きました。ビル・ブラッフォードに期待しましたが、正直言ってイマイチ。8人である必要は全くなく、人数が多すぎて焦点がぼやけてしまった感じがしました。その後2004年に危機時代のメンバーで来日したライブは非常に良かったので、今でも8人イエスは私の中では評価低いです。
この年は、エイジアとかEL&P、ロバート・フリップのソロプロジェクトも来たんですが、イエスがイマイチだったので。いずれもスルーしています。

昔のバンドの音が好きでしたけれど、既に峠を越えた彼らの今を、お金を払って見る気にはなれなくなっていました。

翌年夏、そんなに期待することも無く見に行ったドリームシアターのライブが、意外と良い出来で、それからしばらく新しいプログレムーブメントのバンドを聴くようになります。



新世代のプログレッシブロックは、超絶なテクニックを駆使したバンドが多くなっていました。ドリームシアターは聴けましたが、シンフォニーXとかクイーンズライクは、自分的にはイマイチでした。メタル寄りの音とルックスには拒否反応を示すようです。つくづく、メタル系とは相性が悪いですね。ジュリアンの呪いかもしれない(笑)

<つづく>

 
| 【音楽】 | 18:42 | comments(0)
わたしのロック史(14) イカ天ブームと謎の「ザ・ベスト」
80年代の終わり、転職してすぐ位の事です。
東京ドームが出来、鈴鹿でF1が見られるようになり、興味はもっぱら野球とモータースポーツになっていました。
スキーブームに乗って、車は四駆にシフトします。三菱パジェロのロングボディを買い、スキーやキャンプに大活躍しました。以後、現在まで車は四輪駆動車しか買っていません。

そんなある日、テレビで変な番組が始まりました。
「イカすバンド天国」という番組です。

SETの三宅裕司と相原勇が司会で、アマチュアバンドが登場して審査し、勝ち抜いていくという番組です。昔のお笑いスター誕生みたいな構成ですね。(そっちも知らないか)先日亡くなったオペラ歌手の中島啓江さんなどが審査員を務めていました。

この番組が大ヒットし、アマチュアバンドブームが再燃します。

この番組からは、フライングキッズ、ジッタリン・ジン、BEGIN、たま、マサ子さん、マルコシアス・バンプ、人間椅子、リトル・クリーチャーズ、ブランキー・ジェット・シティなどが排出されます。

白眉は人間椅子が出た回で、この時の衝撃は今でも忘れません。
そこから25年以上に渡る人間椅子との付き合いが始まるわけです。

人間椅子が出た回は不思議な回で、かなりの実力者ぞろいの中、ジッタリン・ジンがキングになるのですが、その直後にメジャーデビューしてしまい、ヤラセ臭ぷんぷんだったのを覚えています。

マルコシアス・バンプと、たまのキング決戦も、鮮明に記憶に残っています。マルコシが「バラが好き」たまが「まちあわせ」という究極の相反する音楽での対決。栄冠はたまに輝きましたが、即座にマルコシの敗者復活が決定したのでした。

この番組がきっかけで、再び楽器をやってみようと思うようになり、グレコのES-335タイプと、ヤマハのエレアコを買いました。

しかし、丁度転職したばかりで、仕事を覚えるのが忙しく、本格的にバンドを組んで活動するまでには至りませんでした。会社のクリスマスパーティーの時に、有志でバンドを組み、クリスマスソングを演奏したくらいです。

イカ天ブームは、たまの登場で最高潮に達し、NHKの紅白歌合戦にも出場を果たしました。
原宿にイカ天ショップなるお店が開店し、そこでしか売っていないレアなCDを買いました。人間椅子、BEGIN、マサ子さん、THE WEEDの4枚です。全部で15種類くらいあり、VA盤(ライブ盤?)もあったのですが、それは買いませんでした。

90年に入り、突然スーパーバンドの来日公演のニュースが入ってきます。

ドゥービー・ブラザースのジェフ・バクスター
イーグルスのジョー・ウォルシュ
EL&Pのキース・エマーソン(?!)
ザ・フーのジョン・エントウィッスル(!!)
ドラマーにはフーのサポートなどもやっていた、サイモン・フィリップス
ボーカルはテリー・リードの予定だったのですが、結局知らない人になっていました。

それが、「ザ・ベスト」という、何だかよく分からない夢のバンドでした。
少なくとも動いているジョン・エントウィッスルが見たかったので、このコンサートに足を運びます。横浜アリーナで、平日だったので、会社を休んで行きました(笑)

これ、何だったんだろう?アメリカウエストコースト系と、英国プログレ&モッズという組み合わせがどうしても理解できない。時々、夢だったんじゃないのとか思うくらいです。演奏も、このバンドのオリジナル曲は無くて、それぞれのバンドのヒット曲を延々とやっていました。バブル時代、日本へのサービスだったんですかねえ?単なる金稼ぎだったのかも??

このメンバーの中では、何といってもザ・フーのジョン・エントウィッスルでしょう。
ザ・フーは日本ではあまり人気がなく、解散後もライブ・エイドなんかでちょこちょこ演奏はしていたものの、決して来日なんてしないと思っていたので、余計に驚きました。



キース・エマーソンの「庶民のファンファーレ」「America」も良かったです。逆さ奏法や、ピアノの上でナイフを突き刺すパフォーマンスも健在でした。

ニューグループという謳い文句でしたが、実際はジャムセッションですね。

まだスキーブームは続いていて、最高で年間40日くらい行っていましたね。暖冬になる前だったので、11月くらいから滑れたのです。春は5月のゴールデンウィーク前に滑ったこともありました。

スキー場まで行く時の音楽は、それまで歌謡曲だけだったのが、次第にロックを入れるようになり、さらにはアニメや特撮の主題歌集(笑)が入ったり、日本のインディーズが入ったりして、同乗者を洗脳して行くようになります。(苦笑)

意外にも人間椅子は評判が良かったですね。
あぶらだこはダメだったなあ。(そりゃそうだ)

<つづく>
| 【音楽】 | 13:07 | comments(0)
わたしのロック史(13) CDへの移行
それから就職し、ますます音楽は聴くだけになっていきました。

80年代後半、映画「私をスキーに連れてって」のブームが火付け役となって、若者の間でスキーが大流行します。週末の関越道は大渋滞。会社を終わってから車で出発し、スキー場に着いたのは翌日の昼、1本だけ滑って帰るなんていう事もざらにありました。
まあ、男女入り混じって狭いクルマの中で何時間も渋滞にハマるというのは、若い時じゃないと出来ませんねえ。

この頃は、ほとんど歌謡曲しか聴いていません。

大学時代のサークルの先輩にアイドル好きがいて、その人の影響でアイドルのレコードも聴くようになっていたのですが、私は根がコレクターだったので、アイドルのEPレコード収集という、ちょっと間違った方向に行きます。

単にEPを集めるだけで、下手をすると聴きもしませんでした。当然、アイドルのコンサートを見に行く気は全くなく、自分でも変な趣味だったと思います。アイドルコンサートにおける、親衛隊みたいなものとは徹底的に相性が悪いのです。ダミ声張り上げて「○○ちゃーん!」なんて叫ぶのは心底カッコ悪いと思っていました。(そういうのが好きな人ごめんなさい)

新作は普通のレコード屋で買いますが、ちょっと古いものは中古レコード屋で買います。数寄屋橋のハンターなどは週1くらいで通っていたかな?ただ、あそこはEPジャケットをホチキス留めしていたのが萎えましたね。安かったから我慢していましたけれど。

しかし、それも斉藤由貴とか荻野目洋子くらいまでで、おニャン子クラブには全く興味が示せず、CDへの移行も相まって、EPコレクションは辞めてしまいます。

この時代、ロック系で唯一聴いていたのは、ブルーハーツです。かなり好きでした。ギターがあったらコピーしていたでしょうねえ。

洋楽のライブには、滅多に行かなくなりました。ブライアン・フェリーのソロ公演くらいかな?スーツにネクタイと、サラリーマンみたいな服装でしたが、かっちょええオジサンで、自分もああなりたいと思ったもんですが。

***

今まで音楽は、レコードを買うか、FM放送をエアチェックしてカセットテープに録音するかのどちらかでしたが、レコードに代わってCDが登場していました。

最初CDを見た時に、あまりにも小さいので、こんなのはダメだと思いました。
音質も良くないという噂があったので、しばらくCDには手を出しませんでした。
特に、当時買っていたシングルレコードに相対するものとして、8センチCDというものが売られていましたが、あまりにも小さく、コレクションにも不向きなので、手を出しづらかったという事もあります。

しかし、世の中は段々とCDが主流になっていき、私もCDプレーヤーを導入することを決めました。
ソニーのCDP-333ESDという機種で、当時の値段で9万円くらいしたと思います。
この頃、ステレオはマランツのPM-84というアンプを使っていました。レコードプレーヤーは最初に買ったテクニクスのものが未だ現役で、カセットデッキはTEACの中級機(型番忘れた)を使っていました。スピーカーはちいさいものを自作していました。

私の気質からいって、オーディオにのめりこんでもおかしくはないのですが、何故かそちらの方向にはハマりませんでしたねえ。

CDへの移行期に、タモリ倶楽部の廃盤アワーというコーナーが人気になって、中古EPが異常な値段になった時がありました。そこで有名になった貴重盤は、だいたい持っていたので、売却してかなり儲かったのは嬉しかったです。でも、それも大半はCDへの買い替え資金になっただけでしたが。

問題は1000枚近くになってしまったLPレコードの処分です。
CD化されていないものがほとんどだったので、しばらくそのままにしていましたが、CDが出るたびに買い替え、レコードはその都度処分していました。

最終的に、2002年ごろに実家が引っ越しすることになり、その時点でLPレコードは600枚くらい残っていましたが、全て業者に売り渡してしまいました。ちょっとレアなものも多かったんですけどね。買ってから1回しか針を落とさなかったものも多かったですし、まあ仕方ないです。

そんなわけで、ほとんどロック的なものを聴かなくなり、平凡な社会人生活を送っていましたが、諸般の事情で転職を決意することになり、さらに忙しくなってしまって、音楽そのものを聴かない日々が続くようになりました。

<つづく>
| 【音楽】 | 08:44 | comments(2)
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